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知識・Tips
2022年10月19日
世界初!接着剤が引き剥がされるプロセスを 透過型電子顕微鏡でリアルタイムに観察 ~接着接合技術の信頼性保証につながる成果として注目~
2021年11月、国立研究開発法人 産業技術総合研究所(産総研)の堀内 伸さんと国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)は、「電子顕微鏡による接着剤はく離過程のリアルタイム観察」に世界で初めて成功したと発表しました。この成果は、これまで明らかでなかった接着剤の破壊現象のメカニズムに迫るものであり、接着接合部の信頼性や耐久性を向上させる技術開発の基礎となるものとしてたいへん注目されています。堀内さんに、接着剤をめぐる社会情勢から、最新の研究成果までを聞きました。
*記事内には「透過型電子顕微鏡による接着剤はく離過程のリアルタイム観察」の動画がありますので、ぜひご覧ください。
接着剤への高まる期待
—今、産総研では接着に関する研究が盛んなようですね。
接着剤は昔からありますから、接着の歴史は非常に古いのです。しかし最近になって、「航空機や自動車など信頼性や耐久性が求められる分野でも接着剤を使おう」という動きが出てきています。それを受けて産総研でも研究が始まりました。まず2015年に立ち上げたのが、「接着界面現象ラボ」でした。接着界面の研究を重要だと考える産総研の研究者が、領域をまたいで集まったバーチャルな組織でしたが、ここでの研究をさらに本格的に進めるために発足したのが、私が所属する「接着界面グループ」です。2021年に「材料化学領域」の中の「ナノ材料研究部門」の下に設けられました。
—接着が注目されるようになった背景には何があるのでしょうか。
環境意識の高まりがあります。特に、CO2排出を削減するために燃費のいい車が求められており、そのためにはより軽い材料で車をつくらなくてはなりません(図1)。例えば、ドイツでは、既に車体をCFRP(炭素繊維強化プラスチック:Carbon Fiber Reinforced Plastics)などの軽い材料で製造しているケースがあります。ただ、CFRPだけで車体のすべてをつくれるわけではないので、異種材料との接合が求められます。従来のように鉄同士の接合であれば溶接できますが、異種材料の接合では生産性やコストの面で接着剤が使われます。
接着剤では材料を面で貼り付けるので、溶接によって点でつなぐよりも力学的なバランスがよく、走行時の振動が減るといったメリットも生まれます。そのため自動車メーカーは積極的に接着剤を使おうとしているのです。
信頼性を保証するための接着剤研究とは
—つまり、車に使うために接着剤の“接着性能の向上”が求められているということでしょうか。
実はそういう話ではありません。簡単に言うと、「接着剤を車に使って安全かどうかがわからない」のが問題なのです。もし車が走っている間に接着剤が剥がれてバラバラになったら大変なわけですが、これまで車の主要部分に接着剤を使ったことがないので、接合部が何年もつか誰も保証できません。しかも車は何十万台も世の中に出ていくので、それでも大丈夫かを検証しておかなくてはならないのです。
—接着接合部の信頼性を保証するための研究をしているのですね。
そうです。接着剤の問題は、「接着の基本的メカニズムがわかっていない。接合部を評価して、その結果を設計に活かすことができていない。接着したものがちゃんとついているか非破壊で検査する方法がない。異種材料の接触や熱によって、接着界面で何が起こるかがわかっていない。そのため、耐久性や信頼性を保証できない」ということです。これらを解決するためには、よりよい新規接着剤の開発研究ももちろんですが、表には見えないところでやらなくてはならない研究がたくさんあります(図2)。
こうした研究が非常に難しいのは、車にはいろいろな形状の部品が使われていて、平らなものばかりではない点です。それらの部品を接着剤で貼り付けて、接合部を曲げたり引っ張ったりしたときに、どのように力が分布していて、どこから割れるのかという力学的な解析が必要です。こうしたことがわからないと、車のどこにどういう接着剤を使うか、どこを強く接着する必要があるかなど具体的な対策がわからず設計につなげられません。ですから、車体全体をみるメートルスケールから、接着界面の挙動といったナノメートルやマイクロメートルスケールまで、幅広い研究が行われています。
界面は悪魔の仕業⁉ ややこしい接着界面の現象
—堀内さんはその「接着界面」に着目されていますね。
物理学者のヴォルフガング・パウリは、「材料は神がつくったが、界面は悪魔の仕業だ」という言葉を残しました。界面とは、互いに性質の違う2つの物質が接する境の面のことですが、そこでは非常にややこしい現象が起こっているということを言っています。しかし、これまで接着のメカニズムがまったく研究されていなかったわけではありません。図3のように3つのメカニズムが知られてはいます。しかしこんなざっくりとした接着メカニズムに基づいて、接着剤が車などに使えるかを検討するわけにはいきません。
接着のメカニズムの理解と併せて、「接着剤がどこで剥がれるか」は非常に重要な知見です。これまで、接着接合部の破壊は、接着剤の層に破壊が生じる「凝集破壊(CF)」、被着材が壊れる「材料破壊(MF)」、接着剤が被着材に残らず剥がれる「界面破壊(AF)」の3つに大きく分類されてきました(図4)。これを基に、剥がれた面を肉眼や光学顕微鏡で観察して、経験的に破壊のパターンを予測していました。しかし、これも十分な知見とは言えません。
—今回、接着剤が引き剥がされるプロセスをリアルタイム観察したということですが・・・
接着剤と被着材の界面を、透過型電子顕微鏡を使って非常に高倍率で、しかもリアルタイムに観察しました。電子顕微鏡では電子線を照射して試料を観察するので、試料は真空中に置く必要があります。そのため試料を引っ張ったり破壊したりしながら、電子顕微鏡で観察することは簡単ではありません。そこで試料を引っ張ることのできる特別な治具とホルダーを作製しました(図5)。治具に厚さ100ナノメートルほどに薄く削った試料を載せてホルダーにセットし、透過型電子顕微鏡で観察します。ホルダーで治具に力を加えて試料を引っ張り、試料の接着剤と被着材の界面で起こっている現象をリアルタイムで観察しました。特に、透過型電子顕微鏡を使って、光学顕微鏡や走査型電子顕微鏡よりも高倍率で観察したことにより、今まで見ることのできなかったナノメートルレベルの接着破壊現象をとらえました。
これは、左がアルミニウムで右が接着剤の試料を、左右に引っ張った際の透過型電子顕微鏡像の動画です(動画1)。被着材のアルミニウムが伸びないのに対して、接着剤は徐々に広がっていきます(図6)。このようにして接着剤はしばらくこらえますが、耐えられずにき裂が入り、このき裂が破壊の起点となります。この接着剤内部のき裂が進行して界面にぶつかると、一気に破壊が起こりました。最初のき裂から離れた飛び地のような場所でも破壊が始まっており、き裂と破壊箇所がつながって壊れたのがわかります。このように接合部付近で進行する破壊現象をとらえ、薄い残存接着剤層の観察にも成功しました。この接着接合部の破壊現象は、従来考えられていたような界面で破壊が進む界面破壊でも、接着剤内部が破壊する凝集破壊でもありませんでした。
動画1:透過型電子顕微鏡による接着界面付近の破壊のリアルタイム観察の一例。被着材のアルミニウム(左)とエポキシ系接着剤(右)の界面で何が起こっているかをとらえた。図6は、破壊過程においてポイントとなる現象がとらえられた場面。
観察をつづけ、信頼性保証へ
—今後、この研究をどのように発展させたいとお考えですか。
接着剤が引き剥がされるプロセスをこれだけの高倍率でリアルタイムに観察したのは、世界で初めてです。実際に目にしたことで詳細が明らかになり、接着接合部の破壊は従来の3つのモデルほど単純ではないこともわかりました。この成果を参考にシミュレーションを行って、き裂が入る前に材料にどのような力の歪が生じているかが予測できるようになってきています。しかし、接着界面付近の破壊で検討しなくてはならないことは、まだ多く残されています。材料の種類を変えた検討も必要ではありますが、特に加える力を変えてみたいと考えています。例えば、異種接合した材料にせん断と言われるようなズレを人工的に起こしておいて、接着界面の破壊を観察したいと考えています。ほかには最初にき裂があるかないかや、材料表面の凸凹の状態の違いも破壊現象に影響するので、こうした点も調べてみたいと思っています。
地道な研究が、異種接着・接合技術における評価方法や解析手法の確立へとつながり、接着剤の信頼性を保証できるようになっていくのです。
取材・執筆:サイテック・コミュニケーションズ 池田亜希子(ライター)
写真撮影:盛 孝大
サイテック・コミュニケーションズ:日本科学未来館開設時の展示作成に関わったメンバー4名によって設立。以来、新しいメンバーを加えながら、科学研究や技術開発の情報を、「オモシロイ!」「スゴイ!」と感じられる形にして世界中にお届けしたい、という思いで活動しています。https://scitechcom.jp/
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