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ものづくり
2024年08月09日
よーいドン!で全く逆に走った10年…ヘボコン10周年記念大会レポート
ヘボコンはヘボいロボットのコンテストです。最も合理性の欠いた者を決めるという、世のロボットと逆の方を向いたエンターテイメントとして世界中でファンを生みました。
この記事を書いている大北はヘボコン第1回大会の司会でした。「ヘボいロボットを決める」と聞いて、おふざけ大会になることを危惧していましたが、蓋を開けてみると当日は大盛り上がりでした。
と、司会の古賀・石川両名が驚きます。このロボットはカップ焼きそばの湯切りに失敗してこぼしてしまった様子をストローで再現したそうです。
技術力がヘボいこともあれば、コンセプトがヘボいこともあり、そのヘボさは10回大会を迎えて多様化しています。 各出場者は「ヘボポイントは?」とそのヘボさを口頭でアピールする機会があります。
将棋で言う二歩のような初歩的なミスであり、決してプロの世界で見ることのない味わいのある失敗です。
と感想を残しました。当日まで動かしてこなかったんです。こうした「いいかげんに作る」態度もヘボさとして評価されます。
たしくんさんに後で話を聞いたところタミヤのTシャツは「スポンサーに媚を売るため」でした。こうしたおもねることで勝とうという姿勢もヘボさの一つとして常態化しています。
テツandロボさんのように本人のやらかしもヘボさの一つです。これは第一回大会のときに電車にロボットを置き忘れたのでそのままヘボコンでなく王将に行った出場者をヘボコンマスターが会場で称えたことに端を発してそうです。
そうなんです。第一回大会ですでにこれらは完成されてたんです。でも考えてみてください。不思議ではありませんか? どうしておふざけ大会にならないんでしょうか?
ヘボコンには独特の文化があります。それは物語について。
大人もポップコーンをまきびしとする物語を作ってきました。そして実際の勝負は「ポップコーンを作る機械の重心が高くて倒れる」という物語とは関係のない終わり方をします。
ちあきーずさんの"とあるヘボコンの超電磁砲"は水鉄砲をレールガンに見立てたもの。それだけでも物語ですが…
──ドラマが生まれる?
──見えた。
どうしてこんなに物語を作るのでしょうか。おそらくその答えはヘボさを味わうためにはスイカにおける塩のように出来事を「おおごと化する」のが大事だからです。
大きな物語を使っておいて、実物はダジャレでした。これがヘボさの味わいです。そうしたギャップは「期待を裏切る情報の喜び」というユーモアの構造そのものです。
プリンターの給紙のような仕組みといっても、紙飛行機ですから厚みも形も全然違うし、それが大量になった場合はより難しいと東京高専のみなさんは言ってました。毎日大量の紙飛行機を折る時間があったそうです。
シュバシュバシュバと次々出る紙飛行機に歓声が上がります。「飛行機には当たりがありますよ!」とアナウンスが入り、手を仰いで群がるヘボコンの民たち。昔、南洋の島に西洋の船や飛行機がやってきて文明の品をプレゼントされたことから、現地では船や飛行機を信奉する宗教が生まれたそうです。
それでいいのか、お前たち。負けてふてくされてるラグビー部に対する監督のような気持ちにもなりますが、観客はそれを楽しんでる風でもあります。
ヘボコンではアイデアに喝采が送られます。アイデアと非合理は両立し、独創性のある役立たない物が会場を沸かせます。
──最ヘボ賞でなく、ヘボコンで優勝するのはどんな感覚なんですかね。
──栗原さんは「ヘボい」を目の当たりにしてどういう印象を持ちましたか?
──作られたもの、あざとさみたいなものがありますよね。「真剣にやった」みたいなのをみんな好きだけど、このイベントはそうじゃない部分がある。
「ヘボで居続ける」ことのあざとさもそうですが、「ヘボいものを目指す」という時点で全員に「ウケ狙い」の要素はあるんです。「ウケ狙い」は観てられないはずなのに成立している。
「テレビ取材が流れたことで闇落ちした」という平凡車會さんの"ポコポコゴリラ"はただ買ってきたラジコンを黒マジックで塗ったもの。金で強さを買ったらしい。操縦するのは「運動神経がいい」とスカウトしてきたよその家の子ども。
おそらく石川くんは子どもらしさの奥にあるイノセンスでエクストリームな表現ができると思ったのではないでしょうか。
と大人には思いもよらないトラブルに見舞われ会場が大きな笑いに包まれていました。
最ヘボ賞ロボを説明すると「小学生がシンプルな機構のロボを思いつきで作ったが場違いなほど小さかった」というものでしょう。
私達は合理性がないと怒られる社会を生きています。本来人間はそんなに合理的ではないですから、こうした非合理を目指すイベントは心が安らぎます。でもそれは「ウケ狙い」とか「マナー違反」とか言われてすぐに合理の網にかかり成立させるのが難しくなってきます。
また「ヘボでもいい」という価値観は難しそうな電子工作への敷居を乗り越える力として、近年は教育分野でもうっかり存在感を示しています。
そんなヘボコンが10周年を迎えたそうです。改めてこの変な大会が何なのかを考えてみます。
一体何が起こってるの? 考える間もなく、この熱狂はYouTubeで世界にファンを生み、世界大会もコロナ禍も経て10周年を迎えたそうで、久しぶりに見に行きました。
ロボットが相撲をしてヘボさを競う
ヘボコンで行われていることはオリジナルロボットによる相撲大会です。32体がトーナメント方式で優勝を決めます(2回戦は4体のバトルロイヤル形式)。ただし相撲の勝者は評価されず、最もヘボかったロボットが最ヘボ賞として栄誉を得ます。
例えば第1試合を見てみましょう。
杉浦電機仙台支店さんの”タンク2024”の動力はゴム。小学生がよく工作で作るあれです。対するはあなはらさんの”ユーホーマシーン”。
そっちのUFO!?
と、司会の古賀・石川両名が驚きます。このロボットはカップ焼きそばの湯切りに失敗してこぼしてしまった様子をストローで再現したそうです。
ヘボい状態をヘボく再現している…ヘボとヘボの塗り重ね!
技術力がヘボいこともあれば、コンセプトがヘボいこともあり、そのヘボさは10回大会を迎えて多様化しています。 各出場者は「ヘボポイントは?」とそのヘボさを口頭でアピールする機会があります。
ヘボポイントはカップ麺にマシンが収まらなかったことです。
目分量が過ぎますね!?
将棋で言う二歩のような初歩的なミスであり、決してプロの世界で見ることのない味わいのある失敗です。
この二者が相撲で押し合い勝者が決まります。
杉浦電機仙台支店さんは敗者コメントとして
(自機の)初めて見るスピードの速さに驚きました
と感想を残しました。当日まで動かしてこなかったんです。こうした「いいかげんに作る」態度もヘボさとして評価されます。
ヘボさの多様性
第2試合も見てみましょう。顔型ロボットの"元マジシャン 首切り斬首"と動力が坂による位置エネルギーな"コピーロボット~再来~"
モデルは何かあるんですか?
ありません
モデルなくてこんな感じによく仕上がるな!
このロボットは中に理科で使うモーターカーが入っていて、タイヤの勢いでトランプが出ます
タイヤの勢いで走るんじゃなくて??
タミヤのTシャツを着るなという気持ちになりますね…
たしくんさんに後で話を聞いたところタミヤのTシャツは「スポンサーに媚を売るため」でした。こうしたおもねることで勝とうという姿勢もヘボさの一つとして常態化しています。
テツandロボさんの"AIタロー"は相手を祝福するためのフラワーシャワーを搭載して花をまき散らせました。トランプを出すのと同じく「合理的でない機能を持たせる」のもヘボさの一つです。
規定より重かったのでノコギリで切ってきました。そのクズが居間に散らかって妻にめちゃくちゃ怒られてしまいまして、今私自身の気持ちが落ちている…
居間を散らかしステージを散らかし…!
テツandロボさんのように本人のやらかしもヘボさの一つです。これは第一回大会のときに電車にロボットを置き忘れたのでそのままヘボコンでなく王将に行った出場者をヘボコンマスターが会場で称えたことに端を発してそうです。
最近では九州から飛行機で来ようとして手荷物検査に引っかかり没収された出場者も同じく会場で称えられたそう。ここだけ世界の道徳がひっくり返ってるので、ヘボさもガラパゴス的な進化をしそうです。
ただし審査員のすずえりさんは第1回の優勝者であり9年ぶりとなった大会を見て、進化については否定しています。
審査の仕様がない。10年前に出たけど何の進歩もない。悲しい(笑い)。失われた10年みたいな。
そうなんです。第一回大会ですでにこれらは完成されてたんです。でも考えてみてください。不思議ではありませんか? どうしておふざけ大会にならないんでしょうか?
ヘボコンを口頭で説明されたある人は「マラソン大会でコスプレしてくる人たちの大会ってこと?」と言ったそうです。そんな大会、成立しなさそうじゃないですか?
ヘボさとは何か。大会を振り返りつつそのコアの部分に迫ることが今日の目的です。
物語を自分で用意してくる大会
2024年6月29日、渋谷にある東京カルチャーカルチャーにて10周年となるヘボコン2024が開かれました。会場に入ると、これから出場する参加者たちが大勢何かを作っていました。
カスタマイマイさんに何を作ってるのか聞いてみました。
最悪です。相手のロボットがポップコーンのまきびしを出すらしいんです。唯一勝つ方法があるなら威嚇だと僕は思うんですよね。なので偽物のスイッチを作って相手をビビらせる作戦です。
第1回大会で目にしたものは出場者たちによる「過剰な物語」でした。例えば「うちわの風で進む車」があるとしたらそれは「大地の女神による風で進む車」とします。これが『熱闘甲子園』ならテレビ局が物語を作りますが、ヘボコンでは出場者が自ら物語を用意します。
小学生でもあるカスタマイマイさんが真剣に語る様子を見て、ヘボコンの物語生成は子どもたちが玩具をヒーローの武器に見立てて遊ぶのと近いものがあるのを感じ取りました。
ちなみに会場にはスポンサーであるセメダインの接着剤ブースがあって、つけ放題だからといってそんなに使わなくても…とこちらが心配になるほど人が何かつけてます。
「ヘボさ」というのは「とってつけた」という表現と親和性があるのか、接着剤でパーツを急遽つけるという文化がここにはあります。
さてカスタマイマイさんと対戦するフラワーショップさいとうによる"ポップコーンまきびしロボ ニンジャ"はポップコーンをまきびしにするというロボットです。
ポップコーンってまきびしになるじゃないですか。まきびしでロボットってびっくりするから、それでやれると思いました。
「殺れる」ですね…
大人もポップコーンをまきびしとする物語を作ってきました。そして実際の勝負は「ポップコーンを作る機械の重心が高くて倒れる」という物語とは関係のない終わり方をします。
次はもっとおいしいポップコーンを作ります!
そこじゃないよー!
ちあきーずさんの"とあるヘボコンの超電磁砲"は水鉄砲をレールガンに見立てたもの。それだけでも物語ですが…
戦わせてみてどんなドラマが生まれるか次第ですよね。
──ドラマが生まれる?
例えば、以前の大会ではリカちゃん人形を使ったロボットvsハンバーガーショップのロボットの戦いだったんですよ。運命でしたね。「リカちゃんがハンバーガーショップに入店していく」っていうストーリーが出来上がってしまったんで。
──見えた。
そう、見えちゃったんです。だからそう、相手次第なんです。相手次第でどんなドラマが生まれるか。
どうしてこんなに物語を作るのでしょうか。おそらくその答えはヘボさを味わうためにはスイカにおける塩のように出来事を「おおごと化する」のが大事だからです。
トーナメントに優勝したチャーリー浜岡GPさん"ノアをはこぶふね"も旧約聖書という世界でも有数の大きな物語から持ってきています。
方舟なんで倒したヘボいロボットを中に積んでアララト山に連れて行きます。今は中にお菓子を積んでいて、相手に渡します。
賄賂だ
車のノアがある
ダジャレしか思い浮かばなかったんで申し訳ないです
大きな物語を使っておいて、実物はダジャレでした。これがヘボさの味わいです。そうしたギャップは「期待を裏切る情報の喜び」というユーモアの構造そのものです。
高専生の技術を崇め奉る大人たち
今回は10周年記念大会のエキシビションとしてヘボくないデモンストレーションがありました。ロボコン常連出場チームである東京高専ロボコンゼミによる”MONONiTY”の登場です。
毎秒3~5発、合計150発の紙飛行機を射出するロボットに前後左右に進めるメカナムホイールを履かせて自走もします。操作者の見た目にヘボの民たちからどよめきと歓声が上がりました。お前たち、それでいいのか、低技術のプライドはどこへいったのだという気持ちです。
紙飛行機をプリンターの印刷の給紙のような感じで送り出して、一枚ずつ飛ばしていきます
……さっきそういうロボット出ませんでした?(口からトランプを出すマジシャン)
プリンターの給紙のような仕組みといっても、紙飛行機ですから厚みも形も全然違うし、それが大量になった場合はより難しいと東京高専のみなさんは言ってました。毎日大量の紙飛行機を折る時間があったそうです。
3、2、1,スタート
うわあああすごい! めちゃくちゃ飛ぶ!
ニコニコ笑っているヘボコンの観客には「高技術の学生をあがめるポンコツな大人たち」という図式を自ら引き受けようという印象を受けました。今日ばかりはヘボを追い求める、そのことを楽しんでるんです。やはりここは世間の価値観と逆転した何かがあります。
東京高専ロボコンゼミの皆さんにも少し話を聞きました。
高専ロボコンにもアイデアとロマンに溢れたロボットに贈られる"ロボコン大賞"という名誉な賞があって、勝ちだけではなく面白さを追求するチームもあります。最ヘボ賞と似てますよね。
──今日ご覧になられてヘボいと感じましたか?
美しさだったり、いわゆる一般のイメージする技術とは違う技術がありますね。アイデアとかすごく研ぎ澄まされていて。
アイデアでヘボさが輝く
そうです、アイデアも技術力です。出場者の一人、長男の風さんのロボットは、プレイヤー自身が振り回したタオルの風を動力とします。「何回も出て風で動かすことを思いつくようになった」と長男の風さんは言ってました(そして振り回したタオルに当たって転倒し負けてました)。
例えばお浜さんの"ポイのズン"は毒で攻撃するというコンセプトの機体ですが…
どこから見ても目が合うという機能があります
ほんとだ…!!
いらん工夫すな~!
勝とうとするロボットは悪役
アイデアで魅せるロボがいる一方、やめろと言われても大きなロボットで優勝を狙う人もいます。去年も今年も同じ人たちによる決勝戦でした。
言わば悪役ですが、この悪役たちの押し合いが盛り上がり、大歓声が上がったのも事実です。ヘボいとかでなくただ相撲に盛り上がってしまう人々。そこにあるのは人間そのもののヘボさでした。
毎年決勝に進んでくる元おもちゃドクターさんはその名の通り、おもちゃの技術者でロボコンにも出場したことがあるそうです。
申し訳ないですよね。去年の決勝戦もつまんなかったですよ。見てる側も「強い者同士が戦ってんだ、ふーん」って。だから普通の大会じゃないですよ。
最ヘボ賞っていうのはちょっと我々では考えられないですよね。お子さんの発想力があったりほんとに斬新な考え方で、ウケ狙いで来てる人たちがしっかり賞をとっていて。
ウケ狙いがどうして成立するのか
そうなんです。前述の「マラソン大会でコスプレしてくる人」として私達がイメージするのはこの「ウケ狙い」です。これがヘボコンの不思議で奥の深いところなんですが、みんなふざけたくて来ているのに「ふざけたい」とは言ってないんです。
今回審査員として参加した栗原一貴さんは2012年に「人の発話を遠隔から阻害する装置」でイグノーベル賞を受賞した科学者でもあります。ヘボコンを振り返ってこんなコメントを残しました。
技術は誰でも使えて効果がある。私みたいな気が弱い人種が世界と戦うための武器、暴力と思ってました。でもそれはやっぱり技術屋のおごりで技術のある人にしか使えない不平等さがあります。
ヘボコンはそんな技術屋の暴力が封じられて、漫才、ハッタリ、踊り、顔芸、愛嬌といったコミュニケーションの暴力が振るえる場所。ある意味リアルで強い人たちが技術の仮面をかぶって戦う戦場であり、技術万能社会に対する復讐でもありますね。
「真面目にやってんだけど…」という狂気的なヘボさならまだ理解しやすい。でもそうじゃない部分の人間性の本質みたいなところに魅力を感じますね。
──作られたもの、あざとさみたいなものがありますよね。「真剣にやった」みたいなのをみんな好きだけど、このイベントはそうじゃない部分がある。
ロボットを(ヘボいと)いじっても誰も傷つかない。ロボットは感情労働が得意なんですよ。クリエイター自身へのいじりも混ぜこぜになって人間力豊富なイベントになっている。
でもずっとそこ(ヘボい地点)にいるのは、ある種の不自然さやあざとさはあるとは思ってるんですよ。そこをちゃんと掘り返していく作業は面白いなって思います。
「ヘボで居続ける」ことのあざとさもそうですが、「ヘボいものを目指す」という時点で全員に「ウケ狙い」の要素はあるんです。「ウケ狙い」は観てられないはずなのに成立している。
なぜ? その一つは嘘を前提に楽しむ大人力であり、もう一つは技術力のなさを愛でる気持ちではないかと思い当たりました。
ヘボいって結局みんなの支持というか、 愛されなければ無理じゃないですか。でも、もうそこはは捨ててるんで。
ヘボコンマスターのヘボへの愛がある
ヘボコンはヘボコンマスターの石川くんによるプロジェクトです。くん付けなのは、私が石川くんの大学の同級生だからです。
石川くんと出会ったのは1999年、90年代にサブカルが狭く悪い方向へ先鋭化していき、大きな災害やショッキングな社会事件も相まって露悪的なものに終わりが見えてきた時でした。メジャーもサブもあらゆる文化が細分化して私達は「どれもよいが…」と戸惑っていました。当時石川くんと「結局エクストリームなものであればなんでもいいね」という言葉を交わしたのを覚えてます。
狭く暗く悪いものではなくてメジャーで明るく健全なものでもエクストリームなものはある。そういうベースが当時形成されたのでした。
石川くんは児童の声が入るような音楽を好んで聴いていました。具体的に言うと『こどもと魔法』という作品を出した竹村延和率いるChildiscレーベルですが、審査員であり第1回の最ヘボ賞すずえりさんはこのChildiscからアルバムを発売しているアーティストでもあるそうです。これは偶然ではなさそうです。
※webの記事で固有名詞のカルチャーを紹介するのはノリが違うと思いますが、一種の試みとしてお付き合いください
今回10周年を迎え、案内文にヘボいことに対して「かわいい」という文言が入ってることに気づきました。第1回大会にはなかったものです。
合理的でないことは「無駄だなあ(笑)」とユーモアとして消費することが一般的ですが「かわいい」とは独特です。「よくできてない→未熟→幼い→かわいい」とここにも子どもらしさとイノセンスが入ってそうです。
「かわいい」は「可愛い」であり愛がベースです。
出場者のフラワーショップさいとうのお二人に「どうしてウケ狙いが成立するんでしょうね?」と聞いてみたら、司会が拾ってくれるから安心して色んなことが言えるからではないかと語っていました。
10周年を迎えたヘボコンの冒頭、石川くんは「ぼくらけなしますけど、それは全部褒め言葉なので」と宣言してどんどんきつくツッコミを入れるという独自の発展を遂げていました。それでも大盛りあがりしてるのは、主催者のヘボへの愛が伝わっているし、会場側からも共有できてる証ではないでしょうか。
子どもらしさやイノセンスへの偏愛がベースにあるのでは?と私は考えますが、実際にヘボコンは子どもがよく活躍しています。
チームぶるさんちによる"いなりんロボ"は2回戦に勝ち進むと9時を回ってきて
ちょっと眠気が…
と大人には思いもよらないトラブルに見舞われ会場が大きな笑いに包まれていました。
最もヘボいとされたのはただ小さい寿司が回るロボ
最ヘボ賞こと「もっとも技術力の低かった人賞」はさとうファミリーさんの"回転寿司"。これも小学生の手によるものです。
回転寿司です。高速回転をします。小さくて回ることしかできません。
勝てると思う?
……思ったよりみんながでかかった
最ヘボ賞ロボを説明すると「小学生がシンプルな機構のロボを思いつきで作ったが場違いなほど小さかった」というものでしょう。
これを最優秀に選ぶのはとても石川くんらしいセンスだと私は思いますが実は会場投票によって決められたものです。優勝者発表の会場が割れんばかりの拍手の音を聞くと、ここにはイノセンスへの偏愛が浸透しきってるように感じました。
出場者のかーねるおいさんになんでヘボコンに出てるのかと聞きました。
仕事をやってると『効率的に、効率的に』ってなりますけど、その真逆を進んでいいってすごく心が穏やかになるというか、気持ちよくなる(笑)
私達は合理性がないと怒られる社会を生きています。本来人間はそんなに合理的ではないですから、こうした非合理を目指すイベントは心が安らぎます。でもそれは「ウケ狙い」とか「マナー違反」とか言われてすぐに合理の網にかかり成立させるのが難しくなってきます。
そうした合理の網をかいくぐるのはなんでしょうか。ヘボコンでは非合理やイノセンスに向けられた愛が会場を包んでいるように見えました。ヘボコンについて考えていると合理に追われる現代の突破口が少しだけ見えた気がしました。
ライター: 大北栄人
2006年よりデイリーポータルZに参加してライター活動を開始。興味分野がユーモアにあり、2015年よりくだらなさの舞台「明日のアー」を旗揚げ。コメディの映画祭で受賞したりコメディの先生としてテレビに出たりする。
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