ものづくり 2022年02月14日

銅を叩き、一本一本毛を植えて。昔ながらの歌舞伎の鬘作り

400年続く歌舞伎の歴史。スポットライトを浴びる役者の陰には、大道具、小道具、衣裳と様々な裏方の仕事がある。今回はその中でも、歌舞伎の鬘を専門に作っている会社社長で、選定保存技術「歌舞伎鬘製作」保持者である川口清次さんにお話を伺った。(取材・文 宗像陽子 / 撮影 金田邦男)

【プロフィール】
川口清次

東京演劇かつら(株)社長。1959年生まれ。曽祖父は六代目尾上菊五郎専属のツケうち。1978年4月小林演劇かつら株式会社(歌舞伎・舞踊)に入社。1991年7月に小林演劇かつら全職人で、東京演劇かつら株式会社を設立。2001年6月社長に就任、現在に至る。2020年7月選定保存技術「歌舞伎鬘製作」の保持者に認定。

 

こわれにくく、こわしやすく。歌舞伎の鬘を作る

都営新宿線浜町駅を降り、明治座を右手に見ながらまっすぐ歩く。350年ほど前、このあたりには幕府公認の江戸三座のうちの中村座と市村座や人形浄瑠璃の芝居小屋が軒を連ね、娯楽を楽しむ人々でにぎわっていた。人形浄瑠璃で使われる人形の製作や修理を行う職人はこの一帯に住んでいて、それが人形町の名の由来となったそうである。

 

瀟洒なマンションのような佇まいの東京演劇かつら株式会社

緑道に設置された勧進帳の武蔵坊弁慶の像には、そんな人形町の由来が書かれている。往時をしのびつつ、どことなく趣のある道を行くと、ほどなく目指す「東京演劇かつら株式会社」に到着した。都会の景色になじむ現代的なビルだが、4階の作業所はだだっ広い畳敷の部屋で、数人の鬘師たちが日々歌舞伎の鬘の製作に励んでいる。

歌舞伎は、毎月2日ころに始まって26日ころ千穐楽を迎える。近年、休演日は2日設けられるようになったが、次の月の芝居が始まるまでには数日あるかないか。役者はその間にまた新たな演目に向けて気持ちを切り替え、鬘を合わせ、新たなお役に臨む。

広い畳の部屋で職人たちが分業で作業をこなしている

鬘はその都度作るというから驚く。思った以上に過酷で、ち密で、繊細。そしてエコな歌舞伎の鬘作りだ。


歌舞伎の鬘は、鬘師と床山が作る。銅板を切って土台である地金を頭に合わせ、植毛をし、髪型を整えるのが鬘師、結い上げが必要なものは床山が仕上げる。鬘の種類は立役で1000種類、女方で400種類もあるのだとか。演目によっては、同じ役であっても複数の鬘を使い分けることもある。「魚屋宗五郎」などがそのいい例だ。酒癖が悪く、酔っぱらって殿様の屋敷に乗り込んでいく宗五郎。最初の整った頭から、次第に酔っぱらってちょんまげが少し曲がった鬘、最後には大いに乱れる鬘と一人の役者が3種類の鬘を使いこなす。ずいぶんと贅沢な使い方だ。

 

歌舞伎は、コロナ禍の今でこそ出演人数も絞られているが、それでも正月などは東京の歌舞伎座、新橋演舞場、国立劇場、大阪の松竹座、京都南座で開かれるので数百枚単位の鬘が必要になる。前もって役がわかっている幹部のほか、端役の配役までわかるのは20日過ぎ。松竹から配役の書かれている附帳が届けられ、それからは従業員は総出で残業をしながら次月の鬘作りをこなすことになる。芝居は26日ころに千穐楽を迎え、29日には早くも次の月の稽古があるから役者はそれまでにほしい。作って終わりというわけではなく、初日が開けても「もう少しこうしてほしい」「ここが当たって痛いので調整してほしい」といったリクエストにこまめに応対しなければならない。
だからバタバタですよ。それが毎月。1年が早いです」と川口さん。

次々と仕上がる鬘たち

接着剤は、小麦粉と黒砂糖を練り合わせて。

歌舞伎の鬘は頭の形の台金を作り、鬘合わせをする。その後、羽二重という布を貼る。髪の植え付けは、羽二重に直接縫い込むやり方と、蓑という毛束を作って、縫い付けるやり方がある。髪を結い上げるのは床山の仕事だ。
歌舞伎の鬘における接着剤は、主に2種類。ひとつは台金に羽二重が付きやすいように下貼りで使われる、小麦粉と黒砂糖を練り合わせた「甘糊(あまのり)」と言われるもの。もうひとつの接着剤は、白玉粉で白玉を作り、練って叩いて粘りを強くしたものだ。

実際の製作手順を見せていただいた。

台金を作る

薄い銅板を切り取り、頭の形に切り抜いた木の切り株に当て、木槌でトントンと打って頭部の形に合うよう、銅板を丸く整える。打つのも最初はおおまかに、次第に細かくとトンカチを3種類替えて、打っていく。

 

銅板から切り出す

木槌でトントン叩いていく

トンガリというトンカチに持ち替えてトントン。

トンカチも3種類替えて。最後は目打ち。芯に当たるように打たないと、小さな丸いくぼみがうまくできない。

和紙で下貼りをする

台金に植毛した羽二重を貼り付けやすくするために、甘糊(あまのり)で和紙を貼る。ふんわりといい香りが漂い、まるでお菓子のようだが、黒砂糖を混ぜることではがれにくくなる。

 

接着剤は小麦粉に黒砂糖を混ぜた「甘糊」

羽二重が接着しやすいように和紙を貼る。

 

植毛をする

植毛には二つ技法がある。ひとつは「羽二重通し」。羽二重にかぎ針で髪を1本ずつ植えていく。

白く見えるところはマチで、ここを折り返して台金に貼っていく

羽二重貼り(ここで練って叩いた白玉を使用する)

羽二重をこの台金に貼っていく

 

羽二重を台金に貼る。生え際の線を調整し、整えていく。

もうひとつは、「蓑」と呼ばれるもので、毛を編みこみ、毛束を作る。毛の長さや毛の量を調整して役々に合った毛束(蓑)をつけていく。

 

蓑つけ

東京演劇かつら株式会社では、20人ほどの職人が手分けをして多岐にわたる作業を行う。川口さんは役者とのディスカッション、職人への指示、実際の作業など目まぐるしく働いている。

 

公演が終わるごとに、鬘は解体。その後再利用。

ひと月の公演が終わると、鬘は解体される。毛の部分をはがし、はがした毛は、洗い、干し、名題、名題下の役者に再利用されていく。

 

再利用されて抜けてしまった毛を1本1本植えていく。

毛をはがし終わった台金は、3階の倉庫に役者別に保管される。

白玉粉は水にぬれれば溶けるので、容易に解体しやすい。鬘としてはこわれては困るが、ひと月の興行が終われば、解体して保管するのが歌舞伎の鬘なのだ。
だから、公演中はこわれにくく、公演後はこわしやすい材料を使用しているんです」と川口さん。

※接着は、白玉だけでは対応できない場合もある。それは本水を使う芝居。本水というのは実際に水を使った演目で、滝から流れてくる水を全身に浴びながら演じる「乳房榎」などの芝居では、白玉はぬれれば溶けてしまうから使えない。その場合は、水に強い接着剤を使う。

本水を使う「鯉つかみ」で使われた鬘。この時は髪を固めるためにコールタールを使用した

役者の頭に合わせる鬘合わせで、細かな注文に対応

鬘合わせ

少々時間が前後するが、ベースになる台金ができた時点で、役者の頭と合わせる鬘合わせが行われる。(出演者全員が鬘合わせをするわけではない)。役者たちが出演している間を縫って楽屋に赴いたり、来てもらったりして鬘合わせをする。毎月のようにやっているのに必要なのかと疑問に感じたが、役者も太ったり痩せたり、骨格は変わるし、また役によっても注文が変わる。
丸顔だから面長に見えるように」といった注文もあれば、役柄によって「筋隈を入れるから顔をもっと大きく出したい」といったことも。

実際の年齢より若い役であれば「若々しく見せたい」。次の月が老け役であれば今度は「老けて見せたい」。衣裳が武張ったものであったり、大きい人の役であれば、役者が負けないように「もっと毛を増やしてくれ」などなど、毎度違う注文に、臨機応変に対応していく。もちろんそのためには、鬘師の方でも相応の知識と経験がなければ、ディスカッションにならない。以前のお役の時はどうだったか。この役者の性格と好みはどうか。その役はどういう性根なのか。役者の性格や顔、好み、お役の性根をあらかじめ把握しておくことが必要なのだ。植毛をしてから再度鬘合わせをして調整をする場合もあるし、しない場合もある。

 

早替わりをするための仕掛けつき鬘。ワンタッチで月代がぼうぼうになった鬘に変身する(怪談乳房榎)

「すごくよかったよ」の一言がうれしくて。

川口さんがこの道に入るきっかけは何だったのだろうか。

曽祖父が六代目尾上菊五郎の専属のツケうちで、父は床山とメイクアップの技術者という、芝居を裏で支える家に生まれ育った川口さん。昭和のテレビ時代劇や歌舞伎で多くの鬘を手掛けてきた父を誇りに思い、18歳でこの世界に入り、すでに40年余りが過ぎた。2020年に選定保存技術「歌舞伎鬘製作」の保持者に認定されたのは、多くの役者にその技術が評価されてきた証左にほかならない。

まだ駆け出しのころ、川口さんは片岡十蔵(現・市蔵)や市川右之助(現・齋入)といった若手たちの鬘合わせの担当をしていた。担当ができるというだけでもワクワクとうれしかった時期だった。

 

『どうでしたか?』と聞いて『すごくよかったよ』『違和感なく演じられたよ』と言ってもらえるとそれがとてもうれしくて、楽しくて。そこがスタートでしたねえ」と川口さんは目を細める。その後、そういった若手たちが「なかなかいい鬘師が育っていますよ」と口添えをしてくれ、十代市川海老蔵(現・海老蔵の父)につながり、海老蔵が十二代團十郎に襲名した2年後から担当となる。このほか多くの役者の鬘を手掛け、東京、大阪、京都、博多と芝居の上演とともに各地を走り回る日々となる。当然、3代続けて担当をしている役者も多く、子どものころから親しんでいる役者との会話はスムーズに進んでいく。

たかが鬘。されど鬘。鬘が頭に合わなければ、役者にとってひと月の興行は苦行でしかない。「よかったよ」「全然合ってねえよ。痛え」かが役者のモチベーションに直結、ひいては芝居全体の出来不出来にも関わるだけに、鬘師は細部に気を配る。

川口さんは、父から鬘師の心得について、次のように教わったという。
女方はね。ゆかたになって、襟塗って、顔塗って、まゆひいて、口紅をさし、最後に鬘をかぶる。その過程でどんどん役に入り込んで、女の気持ちにできあがっていく。それが鬘をかけたときに『痛え!』ってなったら一瞬で素の男にもどっちゃう。そういうことはないようにしろよと言われました
40年昔に言われた言葉だが、今も肝に銘じている。

若き川口さんは、暇さえあれば銅板を叩き、どういう風に膨らみをつければどういう形状になっていくのか、毎日始業前の45分に銅板を打ち込んだという。また頭の形が左右対称の人はいないから、役者の頭の形を早く把握するようにも努めた。さらに筋書を見て、演目によってお役をノートに書き写し、自分が担当した人と役の鬘合わせから出来上がりまで記録をして、覚えていった。

 

役者と共に歩む。

鬘師の技術は、伝承していかなければならない。しかし、コロナ禍で歌舞伎の出演者数が限られ、仕事が減り、何人かの職人が職場を去った。年代によってはぽっかりと穴が開いて、そこに不安を感じる。観客が減り、名題下の役者が何人か去った歌舞伎の世界も同じで、常に役者と裏方は表裏一体の関係だ。

あわただしい毎日の中、多くの歌舞伎役者が、時には面と向かって言えない愚痴や不安を川口さんに吐露し、その都度川口さんは共感し、受け止めてきた。あるいは嬉しい報告を、共に喜んだこともあっただろう。

 

役者が気持ちよく舞台に立てるように、より役者の頭にフィットする鬘を作る。
打ち込みを続け、会話を重ね、経験を積みながら、川口さんは今日も役者と共に舞台を支えている。


ライター:宗像陽子
職人や各種専門家などの取材を多く手掛けている。
オールアバウト歌舞伎ガイド https://allabout.co.jp/gm/gp/1504/


 

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