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ものづくり
2026年05月29日
出来上がった瞬間に“無”に帰しようとする時間をものづくりで表現する−−−−造形家・竹谷隆之が語る造形への思い
映画『シン・ゴジラ』や『仮面ライダー』シリーズなどの作品にデザインや特殊造形として関わり、独自の世界観を持つデザインや緻密に作り込まれた立体造形物が世界中のクリエイターから注目を集める造形家・竹谷隆之さん。
さまざまな造形用の素材を用いて、「無」から立体としての形を作り出す原点には、セメダインのエポキシパテがあった。
幼少期からの造形意欲、欲しい物がないから作るという行動、造形のセンスやバランス力を養うことに繋がった恩のある人たちとの出会い、そして自身のオリジナリティに繋がった父親との日々。
造形作家として向き合ってきたものについて振り返ってもらった。
継げないと思った漁師の仕事と造形への衝動
——竹谷さんにとっての「ものづくり」の原点はどのようなところから始まったのでしょうか?
竹谷:僕の子供の頃は『ウルトラマン』や『仮面ライダー』、『デビルマン』などがテレビでどんどん放送されていた時期だったので、最初はそうしたヒーローの絵ばかりを描いていましたね。作品に関連した原作漫画もよく読んでいました。そこから紙で何かを作るようになりまして。画用紙をクルっと巻いて筒状にしてセロテープで留めたり、セメダインさんの黄色いチューブに入った透明の接着剤を塗ったりして形を作っていって、原作版の『人造人間キカイダー』を作ったりしていました。でも紙だと造形にはいろいろ限界があり、子供の技術では曲面が作れなかったんですよね。そのうちプラスチック粘土が手に入るようになったので、曲面も作り出せるようになったのでいろいろなものを作りました。そこから、だんだんプラモデルにも手を出すようになっていった感じですね。
——竹谷さんは北海道の積丹町出身ということですが、プラモデルはどのようなところで買われていたのでしょうか?
竹谷:住んでいたところが田舎過ぎて、プラモデルは文房具屋さんや駄菓子屋さんの片隅に置いてあるのを買うという形で、自分が欲しいものはなかなか手に入らなかったです。そういう環境だったので、本当に欲しいものは自分で作るという方向に衝動が繋がっていったんだと思います。幸い、冬はたくさん雪が降る地域だったので、雪が積もるとそこには造形材料が無限にあるように感じてました。雪が積もった日には、ちょっと大きめに原作版の『人造人間キカイダー』の敵役のハカイダーの胸像を作ったりしていました。ただ、漁師だった父親とその仕事仲間の方々にはハカイダーは価値がないものだったので、せっかく作ったものも翌日には道路の雪かきと共に壊されてしまうんですが(笑)
——当時は、大人は生きるために仕事をしているので、子供が好きなものとかにはあまり興味を持ってもらえなかったですよね。
竹谷:そうですね。自分がいた環境も特殊で、父親は猟師でもあったので猟銃を手にして山に入って、ヒグマやシカを獲ったりしていたし、ワナを仕掛けてタヌキを捕まえたりしていたんです。タヌキに関しては強烈な思い出があって、親父に捕まえた狸を「殴って殺せ」と言われたり、そのタヌキの皮を剥ぐのを手伝わされたりしていました。一方で、本職の漁に出れば大きなマグロを捕まえるわけです。屈強な腕白坊主だったらそうした仕事を継げたかもしれないですが、僕はひ弱なガリガリの子供だったので、「そんなことできるわけない」とこっちの世界に来たというのはあります。
——その後、高校生になってからプラモデルをたくさん作るようになったそうですね。
竹谷 地元に高校が無かったので札幌の高校に進学して寮に入ったんです。そこは消灯時間も早くて自由にプラモデルを作ることができなかったんですが、2年生になってからは寮から出て下宿することになり。下宿は、消灯時間とかもなかったので、その後の高校生時代は一切勉強をせずにプラモデルばかり作っていました。札幌なので、模型店もたくさんありまして、商業施設のPARCOには海外のプラモデルを輸入販売していたポストホビーという模型店もあったので、まさに天国でしたね。ただ、欲しかった『スター・ウォーズ』のミレニアム・ファルコンはいつ行っても売り切れで。そもそも地元に映画館が無かったので、『スター・ウォーズ』の1作目が公開された時は見に行けなくて、高校生になって2作目の『帝国の逆襲』を見て感動して。『スタートレック』の映画もわりと近しいタイミングで公開されたので、その辺りでアメリカのSF映画とかに影響された時期でもありました。
その後の方向性に大きな影響を与えた上京後の出会い
——そんな少年時代を過ごした後、どのようなきっかけから造形の仕事をするようになったのでしょうか?
竹谷:高校を卒業した後、上京して阿佐ヶ谷にある美術系の専門学校に入学したんです。そこで、その後イラストレーターとして有名になる寺田克也と出会いまして、彼とはよく一緒に行動をしていたんです。そんな中、専門学校の2年生から3年生に進級制作というものがありまして。進級制作の課題は、「自分で企画書を作って先生にプレゼンし、制作物を完成させる」という形で進めるというものだったんですね。何を作ればいいかと悩んでいる中で、寺田からもらったアドバイスが、その後の造形の仕事をするきっかけになりました。
——そこできちんと人に見せるための立体物を作られたわけですね。何を作られたんですか?
竹谷:東京に上京する前に読んだ川又千秋さんの書かれた『天界の狂戦士』という小説がありまして、その表紙イラストはスタジオぬえの加藤直之さんが描かれていてすごく魅力的で気に入っていたんです。その後、上京して仲良くなった寺田が加藤さんの画集を持っていて、その絵がたまたま載っていたので「このイラスト、好きなんだよ」って言ったら「じゃあ、作ればいい」と言われて。プラモデルが好きだったし、そのイラストに描かれていた人型のロボットのようなメカは、『スター・ウォーズ』のC-3POが辛うじて似ているかなと思ったので、それを改造して進級制作の課題として加藤さんのイラストを立体化しました。当時、僕はデザイン科に所属していてイラストレーションや広告のデザインを勉強していたんですが、急に立体物を提出したので先生はどう反応していいのか悩んだかと思いますが、結果なんとか進級できまして。それを模型店で飾ってもらったところ、有名なデザイナーであり、モデラーでもある方の目に止まって立体物を手掛ける仕事をするようになりました。同じ頃に、寺田が映像作家で映画監督でもある雨宮慶太さんのところで映像制作の仕事の手伝いをするようになっていたので、僕も紹介してもらう形で雨宮さんのところで特撮用のプロップを作るようにもなっていきました。雨宮さんのところに伺う時も、先ほどの進級制作用に作った『天空の狂戦士』の立体物といくつかの完成品を持っていって「こんなものが作れます」とお見せしました。
造形の可能性を広げたセメダインのエポキシパテ
——立体造形物の仕事をするような中で、造形に使う素材の変化なども影響があったのでしょうか?
竹谷:ありましたね。昔は模型に使えるパテと言えば、タミヤさんが出されていたラッカーパテしかなかったので、造形的にできること限界があったんです。そんな中、セメダインさんのエポキシパテに出会いました。パッケージにウマの置物の写真が載っていたので、「ウマパテ」と呼んでいたんですが、その存在は大きかったですね。これがあれば何でも作れるんじゃないかと。
——どのようなところが使い勝手が良かったのでしょうか?
竹谷:パテは固まる時間が早く、固まった後もサクサクと削れるので、造形物をつくるのには凄く重宝しました。特に雨宮さんのもとでの映画撮影の現場では、緻密なモールドは必要なく、いかに早く立体物を作って撮影に回せるかが重要だったんです。そこでは、作業をどんどん進められるので助かりましたね。それ以外にも、粘土のように扱えるということもあって、飛躍的にやれることが増えて、造形の幅が広がるきっかけにもなりました。値段もリーズナブルで量が多いのも魅力でしたね。
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——「ウマパテ」を使った造形物にまつわる思い出はありますか?
竹谷:最初にガレージキットの原型の仕事をいただいたのが、コトブキヤさんというメーカーからで、『聖戦士ダンバイン』に登場するオーラバトラーを小さいサイズで13体作るというものだったんです。納品の締め切りが正味1ヶ月くらいだったので、かなり急いで作らなければならず。その時は全部ウマパテで原型を作りました。作業をしている最中に友だちが「ご飯を食べに行こう」というので、まだ固まりきらないエポパテの固まりを持っていって、定食屋のカウンターでもいじっていましたね(笑)
——そういう意味では、「ウマパテ」は映画の造形、ガレージキットの原型の両方のお仕事に欠かせないマテリアルだったんですね。
竹谷:商品原型の仕事はともかく、映画の仕事は訳も分からず巻き込まれた感じですが(笑)。雨宮監督の本格的な長編映画『未来忍者 慶雲機忍外伝』という作品では、特殊造形という名前で撮影現場に入って造形の仕事をしていて。その現場でもウマパテは使っていましたが、その後、主人公の忍者である白怒火のガレージキットを作ることになった際にもウマパテは活用しました。それまで、カチっと左右対称のものを作ったことがなかったですし、服の皺とかも造形したことがなくて、きちんと左右対称に作るのが本当に大変でしたね。『未来忍者』は寺田がデザインを担当していたこともあって、僕が原型を作っていると寺田がちょちょい顔を出してきて、作業中の原型を「ここはもっとこう!」とか言って修正させられました(笑)
映像現場での仕事とオリジナリティに向けた苦悩
——映像の仕事に関しては、手掛けてみた感想はいかがでしたか?
竹谷:雨宮さんとの仕事はいい刺激になりましたね。僕らよりも引いた監督の目線で、映像に映る時は「こういうライティングの時にこうなっている方が映える」というようなメリハリについて教えてもらえたので。造形はどうしても寄った目線で仕事をすることが多いですから。造形物のデザインに関してもざっくりとしたことしか言わないで、細かいところはこちらに任せてくれるので、面白くやることができました。
——当初は依頼があってオーダーに応える形でお仕事をされていたと思いますが、その後ご自身の造形家としての作家性みたいなものはどのように出されるようになったのでしょうか?
竹谷:学校を卒業して造形の仕事を始めた時は、ちゃんとした造形の職人になりたいと思っていたんです。でも、周りには寺田だのイラストレーターの韮沢靖だの、作家っぽい天才野郎どもがたくさんいたので、お酒を一緒に飲むと「お前のオリジナリティは何だ?」とか「何かやらないのか?」という話によくなるんです。その後、オリジナリティを表現する場として、ホビージャパンさんで連載の話をいただいたこともあって、迷いながら、「仕方がないからやってみようかな」となりました。
——それが『漁師の角度』という竹谷さんのオリジナリティが表現された、自身を代表する作品集になるわけですね。
竹谷:そうですね。オリジナリティというものを考えた時、自分がかつて体験したことなどを元にすると手っ取り早くオリジナリティを出せるんじゃないかと思ったんです。自分の育った田舎でのこと、動物は何でも殺そうとするうちの親父のこととか、そういう話をするとみんな驚くので、それをオリジナリティとして変換していって、それを造形の写真と物語で見せていった形ですね。
——かつての体験が、造形の生物感や古びた建物や乗物の表現につながっていくわけですね。生物の造形には、ある種のグロさと美しさが融合されているように感じました。
竹谷:自然物はグロかったり汚かったりしても、生物の形とか自然現象として観察するとそこには必ず美しさもあるんです。父親との体験はそうした学びがありましたね。一緒に暮らしていて、動物が殺されたり、解体されるのも、環境の影響で鈍感になったというのもありますが、綺麗だと思うものばかり見るわけではなく、何でも見てみようという感じにはなりましたね。
ホビージャパン編集部刊『漁師の角度』(完全増補改訂版)より
©TAKAYUKI TAKEYA
いろんなことを知った上で可能となるものづくりの連鎖
——『シン・ゴジラ』では雛形の造形をされたり、近年ではスタジオジブリの展覧会関係造形物なども手掛けられていますね。
竹谷:ジブリ関係のものは、造形の監修という形ですね。例えば、「金曜ロードショーとジブリ展」に展示された『風の谷のナウシカ』の世界観を表現した「王蟲の世界」という立体物に関しては、関係者でどんなものをやるかを話合って、そこで出た案をもとに僕がザックリとしたデザイン画というか構図案のようなものを描いて。そこから雛形を作って、ジブリの鈴木敏夫さんにプレゼンをしに行ってOKが出たので、それをもとにみんなで大きく作っていったという形です。
——造形物の他にも「アニメージュとジブリ展」では、風の谷でナウシカが着ている衣装のデザインなども手がけていましたね。
竹谷 僕はもともと民族的なものが好きでして。あの衣装に関しては、博物館に飾られている少数民族の衣装のようなイメージでやらせていただきました。昔は袖口や襟のところから悪い病気や魔物が入ってくると言われていたので、大抵の原初的な民族が来ている衣装は、それを守る御守りとして袖や襟に模様が入っているんです。そういうことを考えながらアレンジしました。
——なるほど。そうした知識が造形をしていく中で役立っているんですね。
竹谷:形を作るというのは、いろんな方面に関係があることなので。自分が好きなことだけをやりたいんですが、好きなことをやるためにはいろんなことを知らないといけないし、いろんなことをやらなければいけないんですよね。そういう、知識や技術を含めた段取り的なものが連鎖することでもの作りをしているところはあります。
——竹谷さんにとって、造形するというところにはどんな魅力がありますか?
竹谷:最近は造形をすることの魅力とかは考えていないというか、気にしていないです。でも、単純になにか形を作れるということは原初的な楽しさがあると思います。だから、理屈をつけようとすると難しいですね。僕は経年で変化したものが好きなんです。漁師町に育ったので、身の周りではあらゆる金属が錆びてしまって、あらゆる木造家屋の木材が風化して木目が浮き出ていたり、ボロボロになっていて。そういうものが好きだなと。風化には時間が内包されていて、ただ形があるだけではなく、そこには時間という軸も生まれるんですよね。それが奥が深くていいなと。
この世の法則で言うと、人間が何かを作って出来上がったと思った瞬間から、それを「無」にしようという力が働くわけですよね。そこに作る側としては魅力を感じるんですよね。それってある意味矛盾しているんですが……それがいいなと思いますね。
——時間の経過にはドラマみたいなものがありますよね。環境によって風化の仕方が違っていて、竹谷さんの作品はそういうものを読み解かせようとする魅力があると思います。
竹谷:現実を見渡してみて、いろんなところにそういう面白さがありますよね。古い家や乗物とか。ミニチュアや造形物でそうしたものを表現できると、こっちがそうしたこの世界の法則になれた気もするのと、同時に、その世の中の法則に対してのリスペクトが根底にあるので、そうした作業をするのが楽しいですし、面白いなと思うところですね。
石井誠
1971年生まれ。茨城県出身。アニメ、ホビー、映画などのジャンルを中心に執筆するフリーランスライター。月刊ホビージャパン、月刊ニュータイプ、MOVIE WALKER PRESSなどで作品解説、コラム、インタビュー記事などを執筆。主な著書に『安彦良和 マイ・バック・ページズ』(太田出版・安彦良和と共著)、『マスターグレード ガンプラのイズム』(太田出版)などがある。
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