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建築用
2026年09月29日
「家」の現在・過去・未来をつなぐ(木下壽子:一般社団法人住宅遺産トラスト理事)
木下壽子(きのした・としこ)
(一社)住宅遺産トラスト理事、(有)コミュニティー・ハウジング代表取締役。日本とイギリスの大学で近代住居史を研究。『a+u』エディトリアル・アソシエイト、非常勤講師、ライターなどを経て、住宅遺産を次代に引き継ぐ活動に取り組む。共同監修=『Visions of the Real 20世紀のモダン・ハウス──理想の実現』I & II(2000、エー・アンド・ユー)。共訳=トーマス・ファン レーウェン『摩天楼とアメリカの欲望──バビロンを夢見たニューヨーク』(三宅理一と共訳、工作舎、2006)。
(一社)住宅遺産トラスト理事、(有)コミュニティー・ハウジング代表取締役。日本とイギリスの大学で近代住居史を研究。『a+u』エディトリアル・アソシエイト、非常勤講師、ライターなどを経て、住宅遺産を次代に引き継ぐ活動に取り組む。共同監修=『Visions of the Real 20世紀のモダン・ハウス──理想の実現』I & II(2000、エー・アンド・ユー)。共訳=トーマス・ファン レーウェン『摩天楼とアメリカの欲望──バビロンを夢見たニューヨーク』(三宅理一と共訳、工作舎、2006)。
貴重な住宅建築が失われる日本社会の実情
私は2008年から、歴史的、文化的に貴重な住宅建築の所有者とその継承者をつなぐ活動に携わっている。2013年に一般社団法人住宅遺産トラストが設立されてからは、理事として活動に参加し、おおよそ30軒の住宅遺産の継承に立ち会ってきた。
今日の日本においては、さまざまな事情により、貴重な住宅建築が解体される事例が後を経たない。国の登録有形文化財などもその例外ではない。こうした状況は、日本の建築文化や生活文化にとって大きな損失であるだけでなく、地域の記憶や成熟した景観を失うことにもつながる。
私が住宅遺産の所有者とその継承者をつなぐ活動に取り組むことになったきっかけは、2008年の春、建築家・前川國男(1905〜86)の2軒目の自邸(《新・前川國男自邸》)が取り壊しの危機にあるという知人からの連絡だった。その頃私は、コロンビア人建築家の夫とともに会社を立ち上げ、日本とイギリスの大学院で続けてきた近現代住宅建築の研究から、リアルに土地を仕入れ、賃貸住宅建築を企画、設計し、管理・運営する仕事へとシフトしていた。不動産デベロッパーの手に渡り、いつ壊されてもおかしくない状態で、「今から何ができるのか検討もつかない」と危機感を募らせた知人が連絡をくれたのは、大学院で建築史を専攻しながら、不動産の世界に足を踏み入れた私のことが頭をよぎったからではないかと思う。
《新・前川國男自邸》外観(正面ファサード)
©︎sadamu saito世間的には不動産業に分類される業界に足を踏み入れる以前、約3年間にわたり、私は建築雑誌『a+u』の臨時増刊号『Visions of the Real 20世紀のモダン・ハウス──理想の実現』I & II(2000、エー・アンド・ユー)の監修者として、世界中の名作といわれるモダン・ハウスを取材していた。その当時、不覚にも、前川國男の自邸といえば1942年に建てられた木造の家(現在は江戸東京たてもの園に移築されている)という認識しかなく、RC造の新邸の存在を把握していなかった。
前川國男は、東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、ヨーロッパの近代建築運動の主導者であったフランス人建築家ル・コルビュジエ(1887〜1965)に師事した最初の日本人で、戦前、戦後と日本の近代建築を牽引した20世紀を代表する建築家である。前川が自らのために設計したもうひとつの自邸が現存しているとすれば、その建築史的重要性は計り知れない。知人から《新・前川國男自邸》が壊されるかもしれないという連絡を受けた次の日、急いで知り合いの不動産仲介業者に連絡し、当時この家を所有していた不動産デベロッパーに内見を申し込んだ。その外観を一目見て、そして内部に入った瞬間、「この建物を壊すなんてありえない!」という強い憤りと、「このような貴重な建築が簡単に壊されてしまう日本社会って、いったいどうなっているのだろう?」という疑問が沸き起こった。近現代建築も含め、その建築文化が海外からも高く評価されているはずのこの国で、貴重な建築が次々と失われている実情を目の当たりにした瞬間だった。
©︎sadamu saito
©︎sadamu saito
貴重な住宅建築を継承する仕組みづくり──住宅遺産トラストの活動
当時はまだ住宅遺産トラストのような組織は存在しておらず、壊される前に買い取ってくれる人を急ぎ探す以外に方法は見当たらなかった。幸いにも、賃貸住宅として使われていたこの家を、その建築的価値と危機的な事情を理解したうえで購入したいという継承者が見つかり、現在も賃貸住宅として維持管理されている。
《新・前川國男自邸》の継承が成立して間もなく、自由が丘の《園田高弘邸》(1955、現《伊藤邸》)の継承(売却)について、当時私が活動に参加していたNPO玉川まちづくりハウスに相談が持ち込まれた。《園田高弘邸》は、建築家・吉村順三の設計で、戦後を代表する小住宅の名作として知られている。玉川まちづくりハウスは、都市計画家・まちづくりプランナーの林泰義が1991年に世田谷区に設立したまちづくりNPOで、当時スタッフとして活動していた吉見千晶(現・住宅遺産トラスト事務局長)が中心となり、《園田高弘邸》の継承活動を開始した。所有者である園田夫人とともに、演奏会と建築家や建築史家によるレクチャーから構成される「音楽と建築の響き合う集い」と題するイベントを定期的に開催し、少しずつ「家」を社会に開いていった。会を重ねるごとに、貴重な住宅建築を残し、次の世代に引き継いでいくことの大切さに共感する人々とつながっていった。そして2012年秋、《新・前川國男自邸》や《園田高弘邸》のような昭和を代表する建築家たちが設計した貴重な住宅建築が、継承者が見つからなければ解体され失われるというこの国の実情を社会に問い、歴史的、文化的に価値が高い住宅建築を保存・活用し、次の世代に引き継ぐ仕組みづくり模索することを目指し、「昭和の名作住宅に暮らす──次世代に引き継ぐためにできること」という展覧会を開催した。この展覧会がメディアに取り上げられたことがきっかけとなり、《園田高弘邸》の継承が成立。この継承を受け、2013年に一般社団法人住宅遺産トラストが設立された。
《園田高弘邸》インテリア
©︎sadamu saito
《園田高弘邸》でのイベントの風景
©︎sadamu saito
©︎sadamu saito
積み重ねられた「時間」の価値
住宅遺産トラストが設立されて以降、家を手放す決意をした所有者と、その建築的価値を理解し引き継ぐことを希望する継承者をつなぐ現場に立ち会ってきた。そのなかには、学生時代、大学の授業で学び、雑誌で見て憧れた《土浦亀城邸》(土浦亀城、1935)、《VILLA COUCOU》(吉阪隆正+U研究室、1957)、《から傘の家》(篠原一男、1961)、《ブルーボックスハウス》(宮脇檀、1971)や、私の恩師の自邸(《管の家》)(高橋公子、高橋鷹志、1983)も含まれている。
多木浩二は名著『生きられた家』のなかで次のように述べている★1。
「家はただの構築物ではなく、生きられる空間であり、生きられる時間である。」
住宅遺産の継承、保存・活用に携わるなかで、もっとも本質的なテーマは、私たちが「時間」というものをどう捉えるか、ということなのではないかと思うようになった。現在の日本の不動産市場や税制、金融の世界では、歴史的、文化的価値や実際の寿命に関係なく、時間が経てば経つほど建物の価値は下がっていく。一方、文化は、私たちの暮らしのなかで「時間」をかけて形成され、成熟していくものだ。住宅遺産をはじめとする歴史的建造物が人々の心に響くとしたら、それはその建物が、建てられた時代の技術や材料を駆使し、設計や建設に関わった人々の作為によってつくられた唯一無二のものだからであり、積み重ねられた「時間」によってのみ生み出しうる価値がそこにあるからであろう。住宅遺産トラストの活動は、「家」の継承を通して、過去から現在へ、先達から私たちへと渡されたバトンを、未来へ、そして次世代へとつないでいく活動といえるかもしれない。
注
★1──多木浩二『生きられた家──経験と象徴』(岩波現代文庫、2001)、9頁 ^
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