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建築用
2026年07月17日
椅子をならべる (湯浅良介:建築家、Office Yuasa)
1982年東京都生まれ。東京藝術大学大学院修士課程修了。内藤廣建築設計事務所を経て、2019年にOffice Yuasaを主宰。2024年より多摩美術大学准教授。武蔵野美術大学、東京科学大学非常勤講師。個人の制作・展示、大学での教育・研究、Office Yuasaでの設計実務を往復しながら、表象と空間の関係を主題に活動している。主な作品=《FLASH》(2021)、《となりはランデヴー》(2022)、《波》(2022)、《LIGHTS》(2024)など。主な著作=『HOUSEPLAYING No.01 VIDEO』(OFFICE YUASA、2022)、『PATH』(盆地Edition、2023)、『虚無のティータイム』(pendulum、2025)など。主な個展=「POLE STAR」(un、2022)、「BLINK」(same gallery、2023)、「TEMPO++」(CoAK、2024)など。主な受賞歴=SDレビュー2023槇賞、住宅建築賞2024入賞など。
わたしは他者です!
はじめて絵を描くことを教えてくれたのは小学校に入る前に通っていた絵画教室のゴロー先生で、はじめて詩を贈りあったのは小学4年生の担任の府川先生。はじめて演劇のシナリオを書かせてくれたのは小学6年生の担任の清水先生で、街の中は誰かしらがデザインしたものであふれていると教えてくれたのは母や高校の同級生の畠山。挙げだしたらきりがないほど、誰かが教えてくれたことが自分の中に長い間息づいている。
自分やそのものを規定しているものはなにか。そんなことを研究室の学生たちがゼミで話しているのを最近よく耳にする。デカルトのコギト「我思う、故に我あり」★1というのは、なんとなくしっくりきていない様子で、ランボーが彼の旧師ジョルジュ・イザンバールに送った手紙に書いた「わたしとは他者です」★2[fig.1]という感覚に僕も共感している。自分の内側にあると思っていたものは、誰かや何かとの関係が与えてくれたもので、ものの見え方も、その置かれ方や出会う順序によってさえ変化する。
「自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ。」★3[fig.2]という茨木のり子の詩の一節もよく頭をよぎる。私が他者であることと、自分の感受性を自分で守ることは、一見相反して聞こえるが、実際、感受性を高く保とうとすればするほど、外部からの情報は過剰に流れ込み処理が追いつかなくなる。感受性と生きづらさは諸刃の剣のようで、社会でうまくやるのも容易じゃない。もっと長いスパンで、わたしと外部、その関係も、捉えたい。
fig.2──茨木のり子『現代の詩人7 茨木のり子』(中央公論社、1983)
シェイクスピアはよく知らなかったが、この前観た『ハムネット』に妙に心が揺さぶられて、クロエ・ジャオ監督のインタビューを読み漁ったなかにこんなことが書かれていた。
「創造性(クリエイティビティ)とは螺旋のようなもので、天才的な作品は突如現れるわけではありません。『よし、この1ヶ月で傑作を創ろう』という発想ではなく、10代の頃まで振り返り、『あのアイデアがいい』とひらめいて創作する──そこには本物の人生があり、記録があり、それらが実を結ぶ機会がある。それが芸術家の仕事です」★4。
全米が泣いた!
創作において、それがどんなに大きな建造物、多くの人が使うプロダクトだとしても、実感が伴っているか、経験に基づいているかが気になる。よくある商業映画のキャッチコピーで「全米が泣いた!」と言われても、そのコピーを書いたあなたは泣いたのか、なぜ泣いたのかのほうが聞きたい。
大学院の時の研究テーマにシュルレアリスムを選んだのは、あの運動が身近なものや見慣れた景色をモチーフにしていることが理由のひとつだった。アンドレ・ブルトンらシュルレアリストたちは、第一次世界大戦を経た精神的荒廃や理性への不信を背景にしながらも★5、日常のなかにある既製品やイメージを用いながら、コラージュやデペイズマン、フロッタージュなどを通して、すでにあるものを別の関係に置くことで、想像力を駆使して現実の見え方を捉え直そうとした。例えば僕が好きなマックス・エルンストの《美しい季節》(1925)は、紙を床板や木目などの凹凸のある面にあて、鉛筆の芯にも使われるグラファイトでこすることで、ものの表面に潜んでいた像を浮かび上がらせるフロッタージュによって描かれている。
また、シュルレアリストたちと親交の深かったマルセル・デュシャンの《泉》(1917)[fig.3]は、既製品の男子小便器を選び、横に寝かせ、署名し、展示空間に置くことで作品として成立させ、芸術家の役割を「生み出す創造者」から「選択する者」へと変えたと言われる★6。
どちらも世界にすでにあるものを選び、ものの向きや名前、置かれる場所や組み合わせ、出会い方で、そのものがもつとされる意味や価値は変わること、それほどに目の前の世界も、ゆえにそれを見ている自分自身も揺らいでいる状態だということを、ユーモアをもって教えてくれた。
また、シュルレアリストたちと親交の深かったマルセル・デュシャンの《泉》(1917)[fig.3]は、既製品の男子小便器を選び、横に寝かせ、署名し、展示空間に置くことで作品として成立させ、芸術家の役割を「生み出す創造者」から「選択する者」へと変えたと言われる★6。
どちらも世界にすでにあるものを選び、ものの向きや名前、置かれる場所や組み合わせ、出会い方で、そのものがもつとされる意味や価値は変わること、それほどに目の前の世界も、ゆえにそれを見ている自分自身も揺らいでいる状態だということを、ユーモアをもって教えてくれた。
fig.3──Marcel Duchamp, Fountain, 1917. Photograph by Alfred Stieglitz
Original picture by Stieglitz, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8648377
We shape our buildings, and afterwards our buildings shape us.
2024年から大学に赴任して、身体、経験、表現、展示などをテーマにいくつかの課題をつくっている。展示の課題はこれから始まるものだから、まだどんな作品がでてくるかわからないが、壁1枚を立てること、柱1本を立てること、椅子1つを置くこと、平らな床をつくること、そういった建物をつくるうえで当たり前に生じるような行為が、何かを前景化したり背景化したりする行為として意識にのぼることを狙っている。
何かが単独で完全に自律的な存在となることは考えにくい。どの場所、どんな空間に、どう置かれ、そのまわりに何があり、それらとどのような関係を持つのか(持たないのか)、そのもの自体にどんな来歴やイメージがあり、それがある場所においてどのように変容し、強調(もしくは減退)して立ち現れるか。これはデュシャンの《泉》が展示を通して示した問いでもあったが、便器に限らず建築を構成する要素のレイアウト、目の前の何気ない風景のなかにも、同じ問いが含まれている。
街の中に見えているものと見えていないもの、その配分や表れ方はそのまま政治でもある★7。さらに直接的には、国会中継に映る空間と椅子、政治家の様子を見れば、場所の作り方が議論の形式を変え、その影響が自分たちの生活にも及んでいると考えざるをえない。イギリスの庶民院議場のような狭く対面的な空間[fig.4]なら、議論の質や緊張のあり方も変わるのだろうか。それがガバナンスの成功に直結するかは別としても、第二次世界大戦で破壊された議場の再建時、チャーチルが元通り狭いままつくり直すことを支持したこと★8は、場所のつくられ方が政治に与える影響を示す例としては語りぐさだ。
fig.4──イギリス庶民院議場。対面式・矩形。イギリスの議員定数650人に対して座席数427席のため立ち見がでる。対して日本は衆議院議員定数465人に対して座席数480席。面積はイギリス庶民院議場が約289.8㎡(約14m×20.7m)、日本衆議院議場が743.81㎡。
複雑な平和
建築と展示とキュレーションについては、森美術館が主催した国際シンポジウム「建築キュレーションを建ちあげる」★9や、今WHAT MUSEUMで開催中の建築展「波板と珊瑚礁 − 建築を遠くに投げる八の実践」★10がアプローチしている内容でもある。建築やその代替表現が、今、そしてこれからどういう役目を担うのか、可能性を有しているのか、そのとき建築家はどのような立場をとろうとしているのかが展示という形式を通して問われている。
WHAT MUSEUMの展示では、建築家としてのフィロソフィーを展示してほしいとお題をもらい、建築の持つ特徴としての遅さや時間差を、なんでも(経験さえも)、すぐさま消費してしまう現状の有り様に対抗する術として、周囲の光を溜めて遅れて微光を発する蓄光塗料を用いて示している[figs.5-7]。壁面と5組の読書台に施した蓄光塗料は、来場者の点灯、読書、消灯の行為を受け取り、消灯後に光の痕跡や不在の輪郭を遅れて立ち上げる。すぐに見えるものではなく、遅れて現れるもの。すぐに価値が判断されるものではなく、時間をかけて他者へ受け渡される出来事。そのような遅さや時間差に、建築の可能性を見ている。時間がかかるから、考えたり話したり、試したりすることができる。今より前に生じているから、その時の痕跡や記憶として今受け取ることができる。そして今起きていることに、この先へと送られていく予感を感じることもできる。
figs.5, 6──WHAT MUSEUM「波板と珊瑚礁 −建築を遠くに投げる八の実践」
Photo by Keizo KIOKU
fig.7──同
Office Yuasa《闇、遅れた微光》WHAT MUSEUM展示風景。壁面と5組の読書台に施された蓄光塗料が、来場者の点灯、読書、消灯の行為を受け取り、消灯後に光の痕跡と不在の輪郭を微光として立ち上げる。
Photo by Office Yuasa
建築を建物として捉える時、オリジナルはどこかの土地に1/1スケールの物体をもって存在し、その場所以外では図面や模型、写真という表象メディアを介してリプリゼントする方法が主流にある。けれど人間の職能や役割が問われている今、建築を行為として考えれば、椅子1つ、壁1枚をどう置くか、何を記録し何を可視化するかも、時間と空間に生じる関係を編集し、ある暫定的な判断を下しているという点で、立場の表明になりえてくる。
授業でも食事の場でも会議でも、椅子がどう配置されているかで、話す内容や聞く態度、場の空気感や進行も変わり、行く末も変わる。ある鼎談を聞いていた時、全員の椅子がこちら側を向いて等間隔に置かれ、同じ方向を見ながら会話している様子が印象に残り展示でも椅子を横一列に並べた。同じ場所にいても同じ時間を共有しているとは限らない。理論物理学者のカルロ・ロヴェッリが、厳密には誰も同じ時間を共有せず、それぞれがそれぞれの時間を生きている、と書いていたことが日に日に可視化されているように感じている★11。バラバラで複雑な状態をそのままに保つこと、複雑なままに見ることについて考えている。
目の前に広がる風景、取り巻く空間はそもそも多義的だから、そこに一時的なある関係性を与え可視化するためになにかを置く。そこに置かれた事物やその置かれ方に、たまに過去を見る、予兆を見る、他者を見る。そういう痕跡や記憶や気配があることは、わたしひとりの世界にぜんたいの幾分かを、今ここのわたしはあの時のあの人でもありこの先の誰かにもなることを、時折気付かせたり予感させることがある。その痕跡や予兆を垣間見るために、場を構成する要素としてのエレメントを今ここに置く、先へ送る[figs.8-10]。
fig.8──筆者設計《FLASH》内観(2021)
柱や扉、照明などのエレメントをそれぞれのルール、リズムで置く。
写真=高野ユリカ
fig.9──筆者設計《LIGHTS》外観(2024)
周囲の建物と比してあえて建物を小さくし坂の上に置く。
写真=千葉顕弥
fig.10──筆者設計《となりはランデヴー》外観(2022)
街角の既存住居の窓に違和感のある形を置く。
写真=白井晴幸
注
★1──ルネ・デカルト『方法序説』(1637)。一般に「我思う、故に我あり」と訳されるコギト命題(Cogito, ergo sum)は、近代的主体の出発点とされる。全てを疑いうるとしても、疑っている私の存在だけは疑えないとする思考。 ^
★2──『ランボオ全集 第2巻』(鈴木信太郎監修、人文書院、1953)198〜199頁。アルチュール・ランボー「ジョルジュ・イザンバール宛書簡」(1871年5月13日)。一般に「見者の手紙」と呼ばれる書簡のひとつ。「Je est un autre(私は他者である)」の一節が含まれる。「吾れ思ふ、なんて言うのは誤りです。他人が吾れについて考へる、と言ふべきです。地口を言つているやうで御免下さい。『吾れ』は一個の他者であります」。 ^
★3──『現代の詩人7 茨木のり子』(中央公論社、1983)152〜153頁。「自分の感受性くらい」より末尾の一節を引用。 ^
★4──[インタビュー]クロエ・ジャオが語る映画『ハムネット』とシェイクスピア。「物語は私たちが支配できるものではない」(Tokyo Art Beat、2026年4月13日)。 https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/hamnet-chloe-zhao-interview-202604/page2 ^
★5──例えば、ダダイズムは第一次世界大戦への反応としてチューリヒで生まれた芸術運動、シュルレアリスムは第一次世界大戦後の精神分析、夢、無意識への関心と結びつく運動として知られる。 ^
★7──ジャック・ランシエール『感性的なもののパルタージュ──美学と政治』(梶田裕訳、法政大学出版局、2009)8頁ほか。政治を、何が見え、何が聞こえ、誰が発話できるものとして数えられるのかという感性的なものの分配として捉える議論。 ^
★8──Winston Churchill, “House of Commons Rebuilding”, Hansard, 28 October 1943.
第二次世界大戦中に破壊された庶民院議場の再建をめぐる演説。「We shape our buildings and afterwards our buildings shape us.」の出典。演説の全文は「UK Parliament 庶民院議事録」掲載。 https://api.parliament.uk/historic-hansard/commons/1943/oct/28/house-of-commons-rebuilding ^
★9──森美術館国際シンポジウム「建築キュレーションを建ちあげる」2025年10月5日。建築分野におけるキュレーションの可能性を議論するプログラム。 https://www.mori.art.museum/jp/learning/8264/ ^
★10──「波板と珊瑚礁 − 建築を遠くに投げる八の実践」(WHAT MUSEUM主催、2026年4月21日〜9月13日まで)。 https://what.warehouseofart.org/exhibitions/corrugatedcoral/ ^
★11──カルロ・ロヴェッリ『時間は存在しない』(冨永星訳、NHK出版、2019)。物理学における絶対的で一様な時間の解体、局所的な時間、関係としての時間を論じる。ロヴェッリ自身の論文でも、時間を単一の自明なものではなく、複数の層から成る概念、揺らぎ生じる現象として捉える議論が展開されている。170〜175頁では、本稿前半で触れた「自分は一つのまとまった存在だ」というアイデンティティや自己の規定についても、複雑な過程として論じられている。 ^
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