ものづくり 2026年02月20日

遊びと仕事の間で、創造的なコミュニティを育む——リコー「つくる〜む海老名」が10年続く理由

3Dプリンターやレーザーカッターを社員が自由に使える「企業内メイカースペース」。
新規事業創出や外部との共創を目的に導入する企業が増える一方で、それまでの企業カルチャーとの融合やコミュニティの維持など、それまでの企業活動には無かった課題もあります。
そんな中、リコーの「つくる〜む」は、神奈川県海老名市で2020年から活動を続けています。しかも運営メンバーは全員が「社内副業」という形での参加で、専任者はゼロ。なぜ持続できているのか、その秘訣を運営メンバーの皆さんに伺いました。
 

誰でも使える、目的を問わない開かれた場所

神奈川県海老名市にあるリコーの事業所(リコーテクノロジーセンター)。広大な敷地内の一角、実験室などがある建物の一角に「つくる〜む海老名」はあります。3Dプリンターが8台ほど、レーザーカッターやUVプリンター、そしてハンダゴテやドライバー、超音波カッターといった各種工具が並び、社員が自由に出入りして作業できる空間になっています。
つくる〜む海老名の大きな特徴は、利用のハードルを極限まで下げていることにあります。最初に一度だけ簡単な安全講習を受講すれば、社員なら誰でも機材を利用可能。正確に言えば、社員でなくても事業所に自由に出入りできる人であれば特に制限はしていないといいます。
もう一つの特徴は、利用目的を問わないことです。業務用途はもちろんのこと、個人的な試作や趣味的なものづくりも、すべてOKとしています。その理由について運営メンバーの一人である本美勝史さんはこう説明します。
「デジタルファブリケーション機材は早くものを作れることが大きなメリットですが、ゼロから覚えて使うとなると、その『早く作れる』という体験をすぐには得られません。普段から個人的なものでもいいので練習しておいて、いざ仕事で『明日までに作らなきゃ』というときにパッと使える。そんな状態になってほしいんです」
利用料や材料費も基本的に無料です。PLAフィラメントの黒と白、レーザーカッター用のMDFなどは常に置いてあり、自由に使えます。大量に使う場合は後から補充をお願いすることもありますが、厳密な管理はしていません。

「手を動かして考える」という哲学

取材に対応した「つくる〜む海老名」の皆さん。上段左から福永志樹さん、高橋賢さん、松岡興我さん、下段左から本美勝史さん、西崎伸吾さん、加藤皐暉さん。
つくる〜む海老名には明確な目的が設定されています。それは「自律的に何かを試そうとする人を増やす」こと、そして「そうした人のモチベーションを向上させる」ことです。
ここで言う「試す」とは、検証すべき技術や価値に対して仮説を立て、素早くプロトタイプを用意して検証するということ。こうした人材を増やし、楽しみながら試行錯誤に取り組んでもらうことがつくる〜む海老名の目的だと本美勝史さんは語ります。
その背景にあるのは、現代社会の変化の激しさです。調べればわかること、よく考えればわかることは徹底的に考えることが大前提ですが、予測が困難な状況では、仮説とプロトタイプを用いた検証を早いサイクルで回すことが有効になります。デジタルファブリケーションや生成AIの恩恵で、プロトタイプにかかるリソースは劇的に下がっています。だからこそ「手を動かして考える」ことの実践が重要だというのです。
つくる〜む海老名は、リコーグループ技術専門委員会という全社横串での技術者育成組織の中に位置づけられています。複写機を作るリコーには、メカ、エレキ、ソフト、電子写真やインクジェットの作像技術など、幅広い技術分野があります。各技術の専門性を深める部分は各部署や技術専門部会に委ねつつ、つくる〜む海老名は「専門性を活かす支え」になることを自らの役割としています。

新横浜から海老名へ——10年の歩み

つくる〜む海老名の歴史を語る上で、前身となる「つくる〜む新横」の存在は欠かせません。2015年2月、リコーの新横浜事業所にオープンしたのがつくる〜む新横でした。
しかし、つくる〜む新横は立ち上げ当初から苦労の連続だったといいます。社外との共創活動や新規事業創出のために業務外の時間を一定付与する動きは、今でこそ多くの企業で導入されていますが、当時は黎明期。
社内での理解が得られず、予算や運営面で何度か閉鎖の危機に直面しました。一方で、リコーの上層部の応援がきっかけとなり、社内アクセラレータープログラム「TRIBUS」が生まれるなど、事業に影響を与えた側面もありました。
つくる〜む海老名は、新横浜とは別の流れで生まれました。当時、社内では「LCA活動」と呼ばれるボトムアップの社員活性化活動が始まっていました。つくる〜む新横を知った西崎伸吾さんは「海老名にもメイカースペースを作りたい」と社内SNSに投稿、それに「いいね」をつけたのが現在の運営メンバーでもある本美さん。「数人でもいいからやりたい」という呼びかけから、準備が始まりました。
当時、つくる〜む新横は、心理的な距離感があったと西崎さんは振り返ります。「新規事業に興味がある一部の人が行く場所という雰囲気があった。名前は引き継ぎたいしリスペクトしていたけれど、もっとオープンにしたいという意識もあった」
こうした経緯を経て2020年につくる〜む海老名がオープン。2021年に新横浜事業所の閉鎖が決まり、機材が海老名に移管されることになりました。ただし、オープン直後にコロナ禍が始まり、しばらくは様子を見ながらの運営が続きました。

全員が副業で運営するという選択

つくる〜む海老名の入口にある展示ブース。この場所でどんなものが作れるのか、作られたのかが端的にわかる内容になっている。一見何ができるかわかりにくいメイカースペースにおいて、こうした展示は重要な役割を担います。
つくる〜む海老名の運営には、ユニークな特徴があります。専業の運営メンバーがいないのです。どこかの部署のミッションとしてやっているわけではなく、全員が社内副業を活用して運営に携わっています。現在、運営に関わるメンバーは15人ほど。関わる度合いには濃淡がありますが、全員がそれぞれの本業を持ちながら参加しています。
この形態には、意外なメリットがありました。副業なので、リソースを割けるタイミングもあれば割けないタイミングもある。大きな計画は立てにくいものの、逆に終わりなく着実に積み重ねができていると本美さんは振り返ります。
運営メンバーの一人であり、つくる〜む海老名の機材メンテナンスを得意とする加藤さんは、この場の魅力を「部活のような雰囲気」と表現します。
「軽音部には楽器を弾いている人がいて、行けば楽器を貸してもらえたり、弾き方を教えてもらえたりする。ここも同じで、作っている人たちがたくさんいるのが魅力です。もし、つくる〜む海老名が楽器貸し出し専門の人しかいないような、多様性のないコミュニティだったら参加しなかったと思います」
各メンバーは自分の得意分野で貢献しています。機材のメンテナンスに注力する人、コミュニティづくりに力を入れる人、イベント企画が得意な人。誰かにタスクをアサインして進捗管理するのではなく、それぞれのモチベーションに基づいて自律的に動く形で運営されています。
副業という形態は、評価面では必ずしも恵まれているとは言えません。所属部署の上司によって評価の温度感は異なり、人によっては「遊んでいる」という印象を持たれることもあるといいます。ただ、結果としてつくる〜む海老名にいるメンバーは、上司の理解が得られている人たちです。会社全体としても、こうした活動に対して厳しくない文化がリコーにはあるようです。
本当に環境が厳しい状況になれば、こうした余裕もなくなるかもしれないーーそうした可能性もあるなかで活動を続けられていることに、感謝しながら運営しているといいます。
入口には3Dプリンター愛好家が名刺代わりに配布・交換するMaker Chipを展示。社内に留まらないコミュニティ活動もメイカースペース運営のメリットです。
つくる〜む海老名の利用実態を見ると、決して「遊び場」ではないことがわかります。利用者アンケートによれば、用途の内訳はモック・仮説検証が30%、治具が33%、設計試作が12%、個人利用が25%。業務利用が全体の約4分の3を占めています。特定の部署が占有しているわけでもなく、幅広い部署から利用されており、全社横断的なインフラとして機能しています。
具体的な成果も数字として表れています。利用者アンケートには「部署で今年度520万円の試作費低減を達成。作図や発注にかかる工数を238時間低減した」「外部に出していた試作費を50万円程度削減できた」「レーザーカッターを活用して早いサイクルで検討を行い、後戻りが発生しなかった。内外のデザイン賞を受賞できた」といった声が寄せられています。
機材の稼働率も高く、2024年度の実績では、最も使われている3Dプリンターの年間総稼働時間は1,210時間。1日あたり平均3.5時間に達しています。
つくる〜む海老名がもたらす効果は、試作費の削減だけではありません。社員のエンゲージメント向上にも寄与しています。
利用者アンケートには「個人的な活動でも利用できるのがありがたい。会社の懐の広さを感じて、エンゲージメントが上がる」「テレワークで社内の横のつながりが弱くなっている中、つくる〜むを通じてさまざまな部署の方と交流できるのは価値がある」といった声がありました。自由に使える空間や設備があることが、会社が社員を信用している証のように感じられているのではないかと本美さんは分析します。
採用面での効果も見えてきています。入社1年目の加藤皐暉さんは、学生時代から個人でものづくり活動を続けていました。就職活動でメーカーを探す中でリコーの取組みを調べたところ、「魔改造の夜」への参加やMaker Faire Tokyoへの出展を知り、「ここしかない」と感じたといいます。
内定後のイベントでつくる〜む海老名を見学し、「ここなら、好きなものを作れますよ」という話を聞いたことも入社の決め手の一つになりました。

実践共同体としての学習効果

つくる〜む海老名の効果として、本美さんが特に注目しているのが「教育効果」です。機材の使い方を覚えるといったスキルアップだけでなく、価値観の変容にまで影響を与えている可能性があるといいます。
東芝のメイカースペース運営者らと共同で行った約2,000人規模の調査では、興味深い結果が得られました。メイカースペースを高頻度で使う人は、デザイン思考やリーンスタートアップのような「新規事業に適したマインドセット」と統計的に有意な相関があることがわかったのです。そういう志向を持つ人が集まるという側面もありますが、そこで刺激を受けて変化していく部分もあるのではないかと本美さんは考えています。
本美さんはこの現象を「実践共同体」という概念で説明します。実践共同体とは、公式組織とは異なる、学習を主目的としたコミュニティのこと。つくる〜む海老名は、OJTでもOff-JTでもない「学習のサードプレイス」として機能しているのではないかというのです。
インタビュー調査でも「ものを可視化するスキルを求められて招集される仕事が増えた」「アイデアをすぐ形にできると周りから評価されるようになった」といった声が聞かれました。メイカースペースで得たスキルを所属組織で活用し、評価されることで、自分の能力として認知される。公式組織と非公式組織の両方に所属しているからこそ見える視点があり、その循環が価値観の変容につながっていると本美さんは分析しています。

つくフェス——コミュニティを育てる社内イベント

2025年に開催した「つくフェス」の様子
つくる〜む海老名の活動を象徴するイベントが「つくフェス」です。つくる〜むの活動の集大成とも言えるこのイベントは、コロナ禍が収束しつつあった2022年に第1回を開催し、以降毎年続いています。
見て、触って、体験して、新しい価値観や発想を得る。出展者・来場者が互いに交流・刺激し合うことで、業務改善や技術開発、新規事業創出に向けた一歩を踏み出してもらうことが狙いです。
第1回からイベントの準備に携わった福永志樹さんは初回の開催前夜、運営メンバー同士で本当に人が来るのか、出展者がドタキャンするのではないかと不安でいっぱいだったといいます。しかし当日の朝、ホールの扉を開けると、出展者たちがすでに集まり、準備を始めていました。「その光景を見た瞬間、今日は成功したなと思いました」と福永さんは振り返ります。
その後、「つくフェス」は規模を少しずつ拡張しながら、リコー以外の企業も巻き込んで企業メイカーコミュニティのイベントへと発展。2024年の開催では、来場者336名、オンライン参加193名の計529名が参加。パナソニック、デンソー、サイボウズ、PFU、TDKなど社外からのゲストも招いています。リコーがスポンサードしている神山まるごと高専の生徒も出展しました。
来場者アンケートには印象的なコメントが寄せられました。「ドローンは作れるものだと驚いた。今まで家電量販店で購入するものだと思っていたので、新たな発見だった」「制約の少ない多様な価値観や技術に触れることで、近視眼的には業務の質に、遠視眼的には人生をより良く生きることにつながると思う」。会社のイベントで「人生」という言葉が出てくることに、つくる〜む海老名のメンバーは手応えを感じています。

安定と停滞のあいだで——今後の展望

約10年という歳月を経て、つくる〜む海老名は安定期に入りつつあります。リコーグループ技術専門委員会に正式に参加したことで、組織としての立場も安定しました。機材も充実し、利用者も定着しています。
しかし、その安定を手放しで喜べない気持ちもあると本美さんは語ります。ポジションが安定したことで、立ち上げた頃にあったような危機感がなくなってきている。小さな改善は続けているものの、大きなビジョンとして次にどうするかがぽっかり抜けているといいます。
メンバーの中には「現状維持でいい」という意見もあります。一方で、まだやるべきことはたくさんあるという声も上がっています。
高橋賢さんは「アンテナの高い人が使う状況はできた。でも『知っているけど自分ごとじゃない』という人がまだたくさんいる」と指摘します。会社のお金だからと遠慮している人、ハードルを感じている人をどう巻き込むか。そこを広げられれば、「手を動かして考える」文化はもっと広がるはずだといいます。
リコーグループ内の他拠点への展開も、少しずつ進んでいます。既に同様のスペースがある拠点や、今後立ち上げたいというグループ会社もあるようです。しかし、場所と機材を用意するだけでは続かないことも経験からわかっています。「コミュニティを作って運営していこうという意思がないと続かない」と福永さんは語ります。
つくる〜む海老名が運営を続けられた要因の一つとして、スモールスタートを心がけたこともあるといいます。なるべくお金をかけないようにしていたため、予算や目標といったKPIへのコミットを回避できたという側面もあります。機材の多くは他部署からの譲り受けで、純粋に新規購入したのはUVプリンターくらい。そうした積み重ねが、結果として長く続く基盤になりました。
つくる〜む海老名の運営は、企業内メイカースペースの一つのモデルを示しています。大きな予算や専任スタッフがなくても、志を共有するメンバーが副業として関わり、オープンな文化を育てることで、持続可能な「ものづくりの場」を作れるということです。
「文化の醸成って、安定したからこそ言える話だと思うんです」と福永さんは言います。「『手を動かして考える』ということが業務の選択肢として普通にある状態。それが何年もずっと続いていったら、文化になっていくのかなと思います」
派手な成果を追い求めるのではなく、地道に続けていくこと。それが、つくる〜む海老名がここまで続いてきた理由であり、これからも続いていく上での、重要なエッセンスなのかもしれません。

越智岳人(おちがくと)
編集者・ライター / 個人クリエイターからスタートアップや大企業に至るまで、製造業を中心に取材。
2025年にWebメディア「FabScene(ファブシーン)」を立ち上げ、編集長として運営に携わる。

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