2019年10月16日モノづくり

「飛行機を自ら設計し、作り、乗って飛ぶ」 一流の航空機設計者を目指す技術者の挑戦(ROKKO WORKS)

貰った名刺には「宮内空野」とあった。

「そらの、と読みます。変な名前でしょ。父も母も空が好きだったので……」と、宮内さんは言う。

変などころではない。これほど相応しい名前を持つ人もめずらしい。なぜなら、彼は今、自分達の飛行機を作ろうとしているのだから。

ROKKOW WOKKS代表 宮内空野さん

宮内さんの名刺には、「新明和工業 航空機事業部」と書いてある。新明和は航空機事業部を擁し、海上自衛隊向け救難飛行艇「US-2」を製造する会社だ。では宮内さんの「自分達の飛行機」とは、新明和の新製品なのか。

そうではなかった。神戸の湾岸に位置する新明和工業・甲南工場。航空機事業部が、US-2やボーイング787旅客機の主翼主桁などを生産している工場の一角に、その機体はあった。小さな、全木製の機体。まだ組立途中で内部の骨組みが見えている。これに本当に人が乗るのかと思えるほど細い木の角材を組み合わせた主翼だ。
「アメリカ製の組み立てキットの飛行機です。まずはこれを組み立てて、設計に込められた空力設計と構造設計のノウハウを吸収します。そしてこの機体を自分達の操縦で飛ばします」

組立中の飛行機の骨組み

自分達?。ここで数人の“仲間”を紹介された。

「ROKKO WORKSにようこそ。ROKKOというのは、この工場からも見える六甲山からとりました。今日集まって貰ったのは、新明和の社員だけですが、社外の人もいます。みんなROKKO WORKSの仲間です。オープンな組織なんですよ」

そう、宮内さん達が作っている機体は、ROKKO WOKSという社内社外とりまぜての同好会のものだった。しかし、なぜ、新明和の工場の建屋で、こんな小さな、それもアメリカ製のキットを作っているのか。
「これは最初の一歩なんです」と宮内さんは言う。何の最初の一歩だというのだろう。

この日集まったROKKO WORKSのメンバー

宮内空野さん、1985年生まれの34歳。「育ったのはちょっと変わった家庭でした。父母のポリシーで、家にはテレビがなかったんです。テレビがなければ子どものやることは、3つです。外で遊ぶこと、本を読むこと、そして工作です。工作は好きでした」——いや、1985年ならもう任天堂のファミリーコンピュータが発売されている(ファミコン発売は1983年)。小学生時代にはスーファミだってもう売っていた。友達の家に行ってゲームで遊ぶということはなかったのか。

が、私は言葉を飲み込んだ。宮内さんの言葉には迷いがなかった。そうか、この人は本当に、外遊びと読書と工作で育ったんだ

「工作も、プラモデルじゃなかったです。デッドコピーじゃない、自分の考えたものを自分の手で作る。それも動くものです。“動いて、乗れてナンボ”ですね」

そんな、少し風変わりな育ち方をした子どもが、飛行機と出会ったのは中学の時だった。「友だちが、プレゼントでラジコン機のキットをもらったんです。でも自分じゃ作れない。だから『お前、作ってくれ』と。これで飛行機作りに取りつかれました」

飛行機は空を飛ぶ。空は三次元の空間だ。三次元の空間を自由自在に飛ぶという点では、ラジコンの模型飛行機と実物の飛行機は同じである。

ラジコンの模型飛行機が作れるならば、実物の飛行機だって作れるはずだ。


——本物の飛行機を作りたい。自分が乗って、飛べる飛行機を。

そうして宮内さんは、東北大学に進学した。なぜなら、航空宇宙学科があったから。

やりたいのは研究ではない。飛行機を作りたいのだ。

幸いにも、東北大学には飛行機を作れる場所があった。鳥人間コンテストに参加するチーム。「Windnauts」が活動していたのである。宮内さんはチームに参加し、やがてキーマンとして引っ張るようになる。

讀賣テレビ放送が開催する「鳥人間コンテスト選手権大会」、通称「鳥コン」。1977年から40年以上に渡って続いている番組だ。琵琶湖を舞台に、自作航空機の性能を競う。Windnautsは、2001年から人力を動力として飛行距離を競う「人力プロペラ機部門」に参加し、優勝に絡む好成績を残してきた。

Windnautsで宮内さんは、機体の開発に没頭した。飛行機を作るためには、飛行機のすべてを知る必要がある。空気力学、構造力学、そして製造技術、。「模型で培った経験がすべて役に立ちました」。そして大学3年生の2006年、宮内さんの参加するWindnautsは、28.6kmを飛び、鳥コンで初優勝した。

2006年鳥人間コンテスト選手権大会、人力プロペラ機部門で初優勝した東北大学「Windnauts」

その後大学院に進学した宮内さんに、新たな出会いが訪れる。日本唯一の独立系航空機メーカー、オリンポスの四戸哲社長だ。オリンポスは東京・青梅にある小さな会社だが、工房を持ち小型機を次々に設計、製造している。実習生としてオリンポスでの航空機開発に参加した宮内さんは、メディア・アーティスト八谷和彦さんの「OpenSky」プロジェクトの機体「M-02J」の製造に携わった。OpenSkyは、アニメ映画「風の谷のナウシカ」(宮崎駿監督:1984年)に登場する航空機「メーヴェ」そっくりの機体を作って飛ばそうという、パフォーマンス・アートだ。アートといっても飛ぶのは本物の機体。ここで、宮内さんは、エンジンが付く航空機の製造の実際を体験することとなった。

OpenSkyプロジェクトの機体「M-02J」(撮影:松浦晋也)

もうひとつ、四戸社長は重要なアドバイスをした。「オシコシに行ってこい」。

オシコシ——米ウィスコンシン州、五大湖の一つ、ミシガン湖の西側にある小さな街だ。この街にあるウィットマン空港では、毎年7月に、自作航空機の祭典「EAA AirVenture Oshkosh」が開催される。

アメリカは自分で自分の乗る機体を作ることが趣味のひとつとして確立している。実験航空機連盟(EAA:Experimental Aircraft Association)という民間団体があって、1953年以来、この祭典を主催している。一週間にわたって、自作機から軍用機、何十年も昔のヴィンテージ機にいたるまで、すべての飛行機が飛びまくる、飛行機のお祭りだ。

EAA AirVenture Oshkoshに参加し、宮内さんは自分が間違っていなかったことを知った。自分で設計する、自分で作る、自分で乗って飛ぶ——オシコシでは、いやアメリカでは当たり前のことだった。

軽飛行機などの個人や法人が所有して運航する飛行機のことを、ジェネラル・アビエーションという。ジェネアビは、免許を取ってセスナやパイパーといったメーカーが売っている機体を買って飛ばすものだけではなかった。それは半分で、残る半分は「自分で作り、自分で飛ばす」ものだったのだ。

なんとかして自分で飛行機を作り、飛ばしたい。大学院を卒業した宮内さんは、米国に航空機製造・販売の子会社を持つ国内自動車メーカーに就職した。もちろん狙いは、航空機開発に参加することだった。しかしすぐに飛行機を作れる部署に配属されるわけではない。思いは募り、3年後、宮内さんは新明和工業に転職した。

転職先として新明和を選ぶに当たって、宮内さんはかなり戦略的に思考を巡らせた。新明和は1996年から「US-2」の開発を進めてきた。2003年に初飛行。2007年に海上自衛隊に正式採用された。ここで問題になるのは次の新機種開発がいつになるか分からないということだ。US-2の前の機種である「US-1」は1974年初飛行。だからUS-2まで実に29年も間が空いている。 このペースが続くと、「次」の機会までに実際に飛行機を開発したことがある経験者が絶滅する危機感を持っているはずだ。
「だから、そういう会社ならば、これまでと全く異なる方法での航空機設計者の育成に興味を持つだろうと思ったんです」

宮内さんの狙いは的中した。新明和は宮内さんの提案に興味を示し、場所を提供してくれたのである。

航空機の設計には、2つの特徴がある。ひとつめは「複数の設計がある」ということだ。空を飛ぶための合理的形状を追及する空力、要求された性能を発揮しても壊れない構造、さらにはエンジン・プロペラといった推進系、コントロールや安定性を司るアビオニクス、車輪やサスペンション・ブレーキといった降着装置など多岐にわたる。これらの設計を徹底した軽量化を実現した上で一つの機体の設計機械として折り合わせないと、航空機は空を飛ぶことはできない。

もうひとつが、非常にノウハウが多いということ。複数の設計要素の間に高度な妥協を成立させるために、「ここをああすればいい」「ここはこういうふうに作っておくと困らない」というような勘所がもの凄く沢山あるのだ。

だから、他人の真似ではなく、ゼロからコンセプトを立ち上げて具体的な設計にまとめ上げることができる能力を持つ設計者は個別のシステム設計だけでは育たない。複数の相反する課題に直面し、それらの折り合いをつけて解決する経験が必要なのだ。

飛行機を実際に作り、操縦して飛び、そして設計する。これを繰り返さないと一流の設計者にはなれない。

宮内さんが、新たな職場である新明和に提案したのは「実際に機体を作ることで、次世代の設計者を育成する」ということだった。宮内さん本人が、航空機設計者を目指しているのだから、これは「自分を育てる場を自分で作る」ということである。

とはいえ、自分で自分を鍛えるだけでも駄目だ。飛行機の開発はひとりではできない。仲間が必要だ。しかも仲間は多いほど良い。一緒に育つ同士を作り、一定以上の水準をクリアした人材を育成し、集結する必要がある。

こうして2014年、転職の年からROKKO WORKSはスタートした。新明和社員に限ったクラブにせず、新明和もサポート企業のひとつになるという形態で、意欲のある人なら誰でも加入できるようにした。広く人材を集めるためだ。同時に他の企業からも協賛を募ることが可能になる。

ROKKO WORKSが最初に行ったのは、鳥人間コンテストへの参加だった。「これまで自分を育ててくれた鳥人間コンテストで、やりたいことをやりきっておこうという思いと、鳥人間界隈でくすぶっている人達に火を点けようという意図がありました。」

2017年にROKKO WORKSは鳥人間コンテストで30.22kmを飛んで準優勝を果たした。

ROKKO WORKS最初の飛行機「BEYOND」

その次のステップが、私の見せて貰った組立途中の機体だった。アメリカ製の自家用機を組み立てて飛ばすというものだ。現在、ROKKO WORKSのメンバー全員がウルトラライトプレーンの操縦訓練を受けており、アメリカに駐在中のメンバーは自家用機のライセンスを取得中だという。単に作るだけでなく、評価も自分たちで行うつもりなのだ。

ウルトラライトプレーンで訓練するROKKO WORKSのメンバー達

「もちろんこれは最終目標ではなくて通過点です。次に、このキットを改造して水上機にします。これらの過程で設計と製造のスキルを上げ、関連法規の理解と運用などを身につけます。その上でオリジナルの設計で水上機を作り、EAA AirVenture Oshkoshで飛ばしたいと思っています。ゆくゆくは量産設計の資金を得てビジネス化を目指したいところです。ここまで来ると、市場のあるアメリカに進出することになるでしょう」

目指すのはLSA(LightーSport Aircraft)という、ここ数年世界で大きく盛り上がっているカテゴリーの機体だ。LSAは、通常の自家用軽飛行機よりは小さく安価だが、既存のスカイスポーツ用のウルトラライトプレーンよりは大きくて力がある、というカテゴリーの機体だ。アメリカなどでは法制度が整備され、合法的に飛行させることが可能になっている。今後大きな市場になることが期待されている分野だ。
「アメリカのLSAの規定だと、水上機は陸上機よりも50kg重くできるんです。これは、頑張って陸上機並みの設計をすれば50kgをペイロードに回すことができるということです」と、宮内さんは水上機の設計を目指す意味を説明する。
「とにかく手早く物事を進めなくちゃいけません。なんとかして3年で、日本国内でオリジナルの機体を飛ばしたいです」

このような小型航空機、特に木工やFRPの機体は接合のほとんどを接着剤で行う。セメダインはROKKO WORKSの協賛メーカーとなって、エポキシ系接着剤「EP330」を提供している。
「もう、機体のありとあらゆる部分をセメダインの接着剤で組み立てています。接着剤の性能を知り、適切な接着剤を適切な方法で使えるようになる、というのも、航空機設計者にとって大切なことなんです」。

3年後、セメダインの接着剤は、ROKKO WORKSオリジナルの機体と共に、空に舞い上がることになるだろう。

機体構造用の木材を接着中(セメダインEP330を使用)


宮内空野(みやうち そらの)
1985年愛媛県出身
東北大学工学部 航空宇宙工学科卒、東北大学大学院 航空宇宙工学専攻修了。
株式会社本田技術研究所勤務を経て現在、新明和工業株式会社 航空機事業部に在籍。
2014年よりオリジナルの航空機を開発することを目指す有志グループ「ROKKO WORKS」を主宰する。


松浦晋也(まつうら しんや)
ライター。宇宙作家クラブ会員。1962年東京都出身。慶應義塾大学理工学部機械工学科卒、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。日経BP社記者として、1988年~1992年に宇宙開発の取材に従事。その他メカニカル・エンジニアリング、パソコン、通信・放送分野などの取材経験を経た後、独立。宇宙開発、コンピューター・通信、交通論などの分野で取材・執筆活動を行っている。


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