ものづくり 2022年10月25日

縄文人のものづくりってすごい!世界遺産・三内丸山遺跡に残る日本人の手仕事の原点(後編)

縄文時代の遺跡や遺物からは様々なことがわかり、そこには現代の私たちが学ぶべきこともあります。後編では、縄文人の豊かな暮らしから私たちが学ぶべきことや、文化財保護の意義について、引き続き三内丸山遺跡の保存活用課副課長の茅野嘉雄さんに話を聞きます。

※前後編の後編です。前編はこちら

他地域からもたらされたもの

縄文人は漆など様々な材料を使っていましたが、漆以外に接着剤として使われたのがアスファルトです。アスファルトは縄文時代の接着剤としては一般的ですが、三内丸山の近くでは産出しないので、日本海側の秋田県内などからもたらされたと考えられています。

縄文時代の情報とモノの流通範囲の広さは驚異的で、矢じりやナイフに使われる黒曜石は北は北海道から南は長野まであちこちから三内丸山にもたらされています。

いまでも宝石として珍重されるヒスイも見事なものが三内丸山遺跡から出土しています。ヒスイは日本では新潟県の糸魚川周辺でしか良質なものが取れず、さらに非常に硬いので加工がしにくい貴重品です。なにか特別な役目を持った人が身を飾るのに使ったりしたのでしょうか。縄文人のおしゃれも気になりますが、ヒスイからは三内丸山の集落の特徴がわかるといいます。

ヒスイ大珠、5.3cmと大きく、透明度も高い

ヒスイは糸魚川から何らかの形で持ち込まれたものですが、原石が持ち込まれてここで加工されそれが周辺に流通していった可能性があります。三内丸山遺跡周辺の遺跡から出土するヒスイ製品は、ヒスイ産地の新潟周辺で出土するヒスイ製品とは形が違うのです。三内丸山遺跡からはヒスイ原石や加工途中の破片も出土するなど、保有量が周辺の遺跡と段違いに多いことも分かっています。ここからわかるのはこの集落が地域の交流の中心だったことです。津軽海峡や日本海を通じた人やものの流れの交流があり、それでもたらされたヒスイや黒曜石等が三内丸山に集まり、それがこの周辺に散らばっていったと考えられています。(茅野さん)

生活必需品ではないものづくり

ヒスイもそうですが、縄文人は装飾品など生活必需品とは言えないものでも、時間と手間をかけて作っています。

装飾品で言えば、石を加工したペンダントや、土製品の耳飾り、木製の竪櫛なども出土しています。特に土製の耳飾りは全国の遺跡から出土し、縄文時代には非常にポピュラーなものだったと思われます。これは耳たぶに穴を開け、最初は小さなものをはめ徐々に大きくして穴を広げていったと推測されていて、縄文人のおしゃれへの執着心が感じられるものです。

いろいろな耳飾り

そして生活必需品ではない縄文時代の遺物の代表が土偶です。みなさんも宇宙人みたいな顔をした遮光器土偶の写真は見たことがあると思いますが、あれが土偶です。土偶にはものすごく多様なバリエーションがあり、三内丸山では板状土偶と呼ばれる土偶が多く出土しています。

板状土偶は、平べったい十字形をしている土偶です。大きなものから小さなものまで色々出ています。土偶には口や目や眉毛がはっきり表現されているものが多く、見れば人の顔だとすぐわかるので、顔の表情や髪型にこだわりがあったようです。有名な遮光器土偶も青森で多く出土していますがそれとはかなり違いますね。(茅野さん)

確かに三内丸山遺跡から出土した土偶を見ると、十字の板に顔が表現されているものが多く、その表情は様々。大型のものは迫力のある顔のものが多い印象ですが、一体何に使ったものなのでしょうか

大きいものは家の中などに掛けたり置いたりして、よりしろ(心霊が寄り付くもの)のようなものとして使われたのかもしれません。小さなものは持ち歩いたりしていたんじゃないでしょうか。(茅野さん)

土偶の用途については諸説あり、詳しくはわかっていないというのが現状ですが、祈りに関係があるものだろうとは推測されています。様々な大きさのものが出土するのも全国共通なので、大きさによって使い方が異なっていた可能性もあります。これだけ丁寧に作られたものですから、大事に使っていたことは確かでしょうね。

「もの」を大切にした縄文人

土偶は祈りに関係するものだったと書きましたが、縄文時代には他にも様々な儀礼があったと考えられています。その一つが「もの送り」の文化です。土器や土偶も捨て場と言われる場所に捨てられることが多いのですが、わざわざ割ったりするなど何らかの儀式を行って捨てた形跡が見られることがあるのです。どうしてそのようなことをしたのかは想像するしかありませんが、そこから現代人も学ぶべき縄文人の考え方があったのではないかと茅野さんは言います。

素材から何から自分の身の回りのものや身近な誰かが取ってきたものを使っているので、自然から得られたものを使っている意識は強かったと思います。その素材を手間暇かけて形にしつつ、メンテナンスしながら使うので、捨てるときにものに対する感謝が芽生えて、元の場所に送ってあげようとなるのではないでしょうか。さらに、自然は恵みを与えてくれますが、時には人間に牙をむくおそれの対象でもあるので、もらったものをお返しするイメージもあったのかもしれないですね。アイヌと簡単に比較するのはちょっと飛躍がありますが、自然から与えられたものはお返ししなければみたいな考え方があって、縄文時代にもそれに近いものがあったのではないでしょうか。(茅野さん)

この自然からもらったものを使い自然に返すという考え方は、まさに持続可能な社会の発想で、現代人が学ばなければならない姿勢です。縄文時代に帰れとは言いませんが、縄文時代を未開と捉えるのではなく、現代人も学ぶべきことがある時代と捉えると、様々なことが見えてきます。

遺跡や遺物を守ることとは

私たちが遺跡や遺物を見て縄文時代のことがわかるのは、遺跡を発掘し、遺構や遺物を管理する人たちがいるからです。遺跡や遺物を保護する埋蔵文化財保護の仕事とはどのようなものなのでしょうか。

埋蔵文化財保護の主な仕事は、遺跡の把握から始まり、緊急的な遺跡の発掘、発掘した出土品や発掘状況を整理・記録した報告書や書籍の刊行、出土品の保存・活用のため得られた情報を一般に公開するなど多岐にわたり、これらを通じて埋蔵文化財保護の意識を高めることが大きな目標です。ちなみに、発掘調査で出土した土器などの遺物は基本的に割れた状態で出土します。それを接合して足りない部分を石膏などで補って元の形を再現します。きちんと見栄えよく復元すれば、見た人が形をイメージがしやすくなりますよね。その意味で、バラバラに出たものを復元するのは大事だと思います。

余談ですが、接合するときに接着剤は結構大事で、それにはセメダインCがよく使われます。粘着力が強すぎたり染み込んだりしてしまうと次に直すときに困ってしまうので、セメダインCがちょうどいいんです。土器の接合には全国的に使われていると思います。他のものを使っているのが見たことがないくらいで。(茅野さん)

接合した土器も時間が経てば劣化するので、再度直すことを考えあまり接着力の強くない接着剤を使うことが肝要で、セメダインCがそれにぴったりなのだそうです。ただ重要文化財など見栄えが大事なものについては専門の業者に頼むこともあるようです。

重要文化財になっているものなどは、石膏を入れたままだと長期間の保存に耐えられないので専門の業者さんに依頼して石膏の部分を樹脂に変えてもらって同じような色をつけてもらって展示に使えるように、なおかつ強度も増すように修理をお願いしたりします。修理すれば使っていたときの状況をイメージしやすくなりますし、丈夫になるので移動の際にも安心ですので、他の場所での展示もしやすくなります。(茅野さん)

見る人が理解しやすいように様々な工夫がなされているわけですね。そのような仕事をする中で嬉しいこと、楽しいことはどのようなことなのでしょうか。

発掘して出てきたものを組み上げて、図化や写真撮影したり展示をしたりすることで、みなさんに見ていただいて「こんな事がわかるんだ」などと言ってもらえたときは嬉しいですね。それに、遺物などを観察して、自分なりに地域の繋がりや違いがわかったときにも喜びはあります。(茅野さん)

接合され展示されているたくさんの土器、よく見ると石膏で補修したものと樹脂粘土で補修したものがある

縄文人の暮らしが伝わる遺物

最後に茅野さんに、三内丸山遺跡で出土した遺物の中でお気に入りを聞いてみました。

縄文時遊館に入ってすぐの暗い部屋は、遺跡から出たものの中でも代表的なものを集めているので全部おすすめですが、その中でも縄文ポシェットは見てほしいです。現代は手づくりのかごってあまり使いませんが、数十年とか百年くらい前はみんな自分でつくったかごを使っていた。そういった民芸の雰囲気がある。よく見るとただ縦横で組んでいるのではなくて、波型模様を作るような網代編みをしているんですよね。そういう細かい手仕事を見ていただきたいですね。(茅野さん)

縄文ポシェット(編みかご)

縄文時代の人がつくった編みかごそのものを見られるというのは本当にすごいことだと感じます。そして、その技術は何千年も変わらない形で残っているのです。人の生活は激変しているように見えて、根本のところでは変わっていないのかもしれません。

みなさんも是非、三内丸山遺跡を訪れて、5000年前の日本人の暮らしや技術を感じ、今の私たちの暮らしと比べてみてください。きっとなにか新しい発見があるはずです。

<了>


 

ライター:石村研二 2000年頃からライターとして活動。最初は映画関連の記事を多く書いていましたが、greenz.jpなどで社会問題についての記事を書くようになり、その後は情報系、まちネタなど暮らしと社会の間の様々なトピックについてウェブ媒体で記事を書いています。2017年くらいから縄文にハマり、全国の博物館や考古館をめぐる日々を送っています。

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