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ものづくり
2023年05月19日
撮ると必ず「写り込み」が発生する自作カメラで遊ぶ
電車の中や展望台から外の風景を撮影すると、室内の様子がガラスに反射して写り込んでしまう。特に夜間は絶望的で、外の景色はほとんど見えず、明るい室内の反射が視界の大半を占める場合もある。
風景をキレイに撮りたい人にとっては、厄介者とされる「写り込み」。でもガラス越しに見ると写り込みがあるのは自然なことなので、逆に写り込みをなくそうとする方が不自然な写真だと考えることもできる(偏屈だ)。
写り込み上等である。むしろ、あえて風景に写り込みを発生させることで、逆にエモーショナルな写真になったりしないだろうか。「自在に写り込みを発生させられるカメラ」を自作して遊んでみることにした。
写り込みは悪なのか
上の写真は、海沿いを走る電車の窓から撮影したものだ。暮れなずむ空と海の色が美しいものの、思いっきり電車の車内が写り込んでいる。これを撮ったのはもう随分前で、撮影当時の気持ちはすっかり忘れてしまったが、いま改めて見て感じるのは「なんかいい写真だな」ということだ。
ただ空と海を撮るだけなら、それは空と海の風景写真になる。でも車内が写り込むことで、「ローカル線に揺られながら、暮れゆく風景をボーっと眺めていた」というシチュエーションまで一緒に写し撮られており、当時の様子に想いを馳せることができる。ただの風景写真よりも、いっそう撮影者の心情を表現できていると思えたのだ。
単純に「写り込み=悪」とするのは勿体ないと感じた。写り込み、実は面白いんじゃないだろうか。
そんなことをツラツラと考えながら開発したのが、「自在に写り込みを発生させられるカメラ」なのである。
二眼カメラで、写り込みを擬似的に作る
この写り込み、単に液晶の表面に反射して写っているわけではない。実は、前方カメラと後方カメラの映像をリアルタイムに合成して作っているのだ。
前方カメラと後方カメラの写真を一定の比率で合成することで、擬似的に写り込みが発生したみたいな写真を生み出している。
こうすることで、写り込み相当の写真(後方カメラの画像)が薄く透けたようになって、まるで本物の写り込みのように見えてくるのだ。まったく必要性がないので、これまで見過ごされてきた技術、「疑似写り込み」の誕生である。
こんな風に、前と後ろに2つのカメラが付いているのは特に珍しいことではない。インカメラとアウトカメラを搭載しているスマホでは一般的である。しかし今回作ったカメラは、スマホよりもメカっぽい見た目をしているし、普通のカメラのように構えて撮れるので、撮影時の仰々しさがある。
写真を撮るという行為には、カメラを構えてシャッターを切る「体験」も含まれていると考える。なので、ただ写真が撮れればいいわけではない。あえて写り込み写真を撮るという、この体験をより楽しいものにするためには、わざわざ写り込みを発生させるためだけの専用カメラを用意する必要があったのだ。
そんな「写り込みカメラ」がどういう構造になっているのかも、少し紹介しておきたい。
写り込み撮影専用カメラを作る
ラズパイでは、2つのカメラで撮った映像を処理して、リアルタイムに合成したり、画像ファイルとして保存したりと、カメラ機能全般の制御を行っている。
そして肝心のカメラ部はというと、
私が過去に書いた記事で、これと同じ形のカメラを見たことがある人もいるかもしれない。今回は、そのときに作ったカメラを改造し、二眼カメラ用に細部をアップデートしたものなのだ。
普通、カメラは右手で構えるものだ。よってグリップは右手側に付いており、右手で持って、右手の指でシャッターを押すのがスタンダードになっている。
そんなありふれたルールをぶち壊したい! ……という過激思考では全くないのだけど、今回作ったカメラは、左手で持って撮影する特殊な構造になっている。
シャッターボタン(赤い丸)は左右に配置し、左手の親指でもシャッターを切ることができるようにした。これの何が良いかというと、
写真に写り込みが発生する状況を想像してみて欲しい。その写真が撮影されたということは、写り込んでいる人物は必ず右手にカメラを持っているはずなのだ。よって、右手には普通のカメラを持って写り込み、その状態で「写り込みカメラ」のシャッターを切らねばならない。それに適した構造が、左手グリップというわけだ。
このようにして、写り込みを発生させるためだけの専用カメラを自作することができた。外に持ち出して、実際に使ってみたい。
写り込みカメラで京都の街を撮る
自作カメラを持って、京都の街をうろうろしながら写真を撮ってきた。普通なら「どんないい風景に出会えるだろうか?」と言いたいところだが、今回に限っては「どんないい写り込みに出会えるだろうか?」という、プラスかマイナスか分からない期待が生まれる。
ただ、大きく見上げる構図で写り込みがあるのは少し違和感がある。見上げるほど巨大な物がガラスの内側にあるなんて、あんまり想像できない。
撮っているうちに、これは不自然な写り込みだ、というのがだんだん分かってきた。できるだけ自然に写り込みを発生させようと、試行錯誤しながら街を歩く。今後いっさい役に立たない撮影テクニックだけが磨かれていった。
タワーの展望台だと、写り込みがある状態が自然だろうと思ったのだ。ただこの日のコンディションだと、外が明るすぎてガラスへの写り込みが発生していない。そこで自作カメラの出番だ。
模範解答のような写真が撮れてしまった。そうそう、展望台と言えばこの写り込みである。
一般的には失敗写真だと思うが、写り込みの状況が「あるある」すぎて、逆に安心感がある。変に気取って映えた写真を撮るよりも、こういう生っぽい写真の方が、後から見たときに当時のことを思い出しやすい気がするのだ。
写り込みによって生まれる「風景を観賞している」感覚
先ほどの展望台とは違い、通常では写り込みが発生しえない状況だ。なのに写り込みがある。その違和感を楽しむ。
写り込みがあるということは、「カメラの前にガラスがある」ということになる。写り込み写真を見ながら、前面のガラスのことを想像する。そうすると、だんだんガラス越しに風景を見ている感覚に……なってこないだろうか?
自在に写り込みを発生させることで、存在しないはずのガラスが意識下に浮上する。それにより、目の前の風景が展示作品になったり、展望台から見る眺望に変化したりする。ただの日常風景なのに、「風景を観賞している」という感覚が強くなってきた。
まあでも、「それが何だってんだ!」と言われればそれまでである。あくまでそう見えるというだけで、だから何かあるわけではない。特に意味はないように思う。元も子もない結論であるが……。
夜の写り込みの「らしさ」
今までは昼間の写真だったけど、写り込みと言えばやはり夜である。ここで日が暮れるまで少し待つことにした。
夜の写り込みは、だんぜんリアルだ。本当にガラスに写り込んでいるみたいな写真が撮れるようになった。
ただ気をつけないといけないのは、あまりに暗すぎる場所に立つと後方カメラの映像が真っ暗になり、何の写り込みも発生しなくなる点だ。そのため、そこそこ明るい場所に立って自分に光を当てた上で、シャッターを切る必要がある。人生で最も役に立つ人が少ないTipsのひとつである。
なんてことはない風景、手ブレしてボケた風景、でもそれを切り取った写真には、妙な味わいが生まれている。写り込みには、見る人の気持ちを大らかにさせる効果があるのかもしれない。「そもそも写り込んじゃってるし、細かいことはいいんだよ!」という諦めから生まれる芸術、それが写り込み写真なのだ。
「写り込みカメラ」を持って、半日散歩をしてみた。カメラに保存されている写真は、どれも風景を撮ったはずなのにもれなく自分が写り込んでいて、改めて見返してみると変な感覚だ。間接的に自撮り写真になっているとも言える。ただ途中にも書いた通り、これに意味を見出すことは難しい。
しいて言えば……風景の見え方に変化が生じたのは確かである。
「なんかちょっと写真が面白くなった」
それくらいが、大げさすぎない等身大の感想かもしれない。特にメリットもデメリットもないけど、「なんかいい」。そういう感覚を大事にしたいと思うのだ。
斎藤 公輔:1983年徳島県生まれ。大阪在住。散歩が趣味の組込エンジニア。エアコンの配管や室外機のある風景など、普段着の街を見るのが好き。「デイリーポータルZ」などで記事を執筆中。
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