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建築用
2024年03月01日
地域と人々をつなげる拠点としての学校建築 (赤松佳珠子+大村真也:建築家、CAtパートナー)
学校建築の枠組み
私たちシーラカンスアンドアソシエイツは、オープンスクール形式を取り入れた《千葉市立打瀬小学校》(千葉県千葉市、1995)以来、その後もいくつか学校建築を手がけており、「学校建築が事務所の特色のひとつだ」と評されることがあります。
ホテルや飲食店などを多く手がける建築家は、商業施設が得意だと見えることと同様に、学校建築の設計を積み重ねてきた結果ゆえの見え方であると捉えていますが、もう一方では私たちのような、いわゆるアトリエ系の設計事務所が、一定の制度で管理・運営される状況下にある学校建築の設計に関わることができているという事実は、学校建築というプログラムにはまだまだ建築家が参加する余地があること、建築家の提案が期待されていることの証であるとも感じています。
日本で「学校建築」とは、小中学校の義務教育過程において文部科学省が定める「学習指導要領」に則った教育を行なう一条校(学校教育法第1条に定められた学校)の基準を満たした建築(計画)を一般的には指します(インターナショナルスクールなど一部ちがうものもあります)。また、学校は、私立と公立の二つに分けることができますが、私立であっても当然、国の定めた義務教育を行ないますから、文部科学省の管轄となります。発注者がだれかというと、前者であれば学校法人ですし、後者の場合は区や市町村といった基礎自治体(行政)になります。
求められる建築のあり方は発注者によって当然ちがいがありますが、定められた教育プログラムを行なえるようにするという大前提があり、たとえ校地が狭くてもグラウンドやプールは必要となるなど学校建築としての枠組みが定められています。
学校建築の変遷
小中学校の施設を全国で一定の水準とするために1949年に当時の文部省の委嘱により日本建築学会が作成した「鉄筋コンクリート造校舎の標準設計」があります。この「標準設計」に基づき片廊下形式の校舎が高度経済成長期の日本で量産されました。時代の移り変わりとともに「学習指導要領」も変更され、それに合わせて教育環境の変化も求められてきました。さらには全国各地の気候風土や生活環境、地域の方々の多様な求めに応じられるような、柔軟な対応や仕組みづくりも行なわれつつあります。また、少子化に伴う生徒数の減少に応じて空き教室を異なる用途の公共施設として運用したり、あるいは予算的に学校単体で建てることが厳しい場合には、複数の公共施設機能を一体的に整備する複合化の事例も増えています。
オープンスクール形式の学校は日本においては1970年代後半からつくられるようになりました。一般的には開放的な空間(ワークスペース)を教室と連続的に設けることで横断的かつ個別的な教育を可能にする目的で導入されます。さらに1984年に文部省が、さまざまな学習指導方法に対応するために多目的スペース補助制度を導入することで、こうした動きを促すこととなりました。私たちは、学校建築の設計に際し、子どもたちの多様な活動が自然と生み出されるような学校をつくろうとオープンスクール形式を計画に盛り込みますが、空間だけを開くのではなく授業方針と連動する必要があり、完成後に足を運んで空間の使い方などについて先生方とコミュニケーションを積極的に取ることが必要だと考えています。一方、増えてくるオープンスクールのなかには、どのように使われるのかが検討されないまま、多目的スペースをつくることだけが目的化してしまうケースもあり、その結果オープンスクールの画一化という問題が起きてしまったという流れもあります。
「標準設計」が定められてから70年以上が経ち、現在は学校建築の建て替えの時期にありますが、さまざまな紆余曲折があり、どのような教育方針で、どういう学びを展開していくのか。学びの本質(ソフト)と学校建築(ハード)をどのようにつなげていくのか。これまで多くの建築家たちは行政や現場の先生方、生徒のみなさんと協力しながら模索しつづけてきたといえます。
複合化と地域の拠点化
学校建築は、子どもたちへの教育を行なうといった機能的な側面だけではなく、地域住民の方たちの生涯教育や生活環境、コミュニティ形成に対する期待に応える役割ももっています。例えば、私たちの手がけた《流山市立おおたかの森小・中学校 おおたかの森センター こども図書館》(千葉県流山市、2015)は、1,800人が通う小中学校併設校と地域交流センター、こども図書館、学童保育所が集まる約22,000平方メートルの複合施設です。
2005年のつくばエクスプレスの開業に伴って都市計画道路と宅地の整備が行なわれたこと、そして子育て支援政策の充実により流山市の新市街地地区の人口は急激に増加しました。近い将来に訪れるであろう教室不足に対応するために新しく小中学校の建設が必要と判断され、公募型プロポーザル方式により2011年に私たちが設計者として選ばれました。一般に開放され地域との接点になる「おおたかの森センター」などの施設に関しては街に面して配置をすることでみなさんの活動が外に広がるように、また、小学校や中学校の図書館とは別に生徒以外も利用できる「こども図書館」を建物の中心に据えることで、さまざまな交流の場となることを意図しました。竣工後、地域の方たちを対象とした施設見学会には3,500もの人が訪れました。このことは、学校が地域のコミュニティの核となって、地域と人、人と人とをくっつける拠点として大きな期待を集めていたことの表われと捉えることができます。さらには日常的な人々の交流とは別に、とくに大災害などが起きて初めて近隣の人たちとの関係性(共同体)の重要さを身近に目の当たりするようなケースも出てくるはずです。そういうときに学校は、防災備蓄倉庫を備えた避難所であるという機能にとどまらず、心のよりどころにもなりうるはずです。
地域に愛着をもたらす拠点
ここでは学校建築の範疇を、地域の人々をつなぐ拠点という観点からほかの教育機関の建築にまで広げてみたいと思います。
群馬県前橋市にある共愛学園はこども園から小中高、短大、大学までを有しています。共愛学園創立130周年記念事業の一環として建設された《共愛学園前橋国際⼤学5号館 KYOAI GLOCAL GATEWAY》(2021)の設計では、「学習の場」「集い・交流の場」「事務機能」が求められました。
大学のモットーとして「地域との共生」が掲げられており、地元企業と協働するなど、もともと地域との結びつきを強める活動を積極的に行なってきたという経緯があり、その結果、本大学の学生の多くが群馬県とその近隣出身者で占められています。したがって卒業後の進路も群馬県内が中心であり、まさに地域の方たちに愛されてきた学園といえます。多くの地方都市の若者が大都市の大学へと流出していくなかで、地元への愛着を生み育てる事例として多くの地方大学が参考に訪れるほどです。教員や職員の方も地元出身者が多く、いずれも学生との距離が近いこともあって、開かれつつ、さまざまなアクティビティを許容できるようなスペースのあり方を検討し、地域と人々をつなぎ活動を生み出す、多方向に開いたハブのような建築を目指しました。
さらに現在進行中なのが長野県の県立高校の建て替えに関する「長野県スクールデザイン(NSD)プロジェクト」です。これは赤松が県の行政側(仕組みづくり)に加わり、早い段階から優れた設計者をプロポーザルで選定し、行政と学校と設計者、そして地域の方々がパートナーとして一体的に協働するプロジェクトです。少子化や人口流出による統廃合が課題となっており、それぞれの地域の特性を生かした教育を行なうことで、自分の生まれ育った場所に愛着をもてるような人材を育成できる学校をつくるべく基本計画から建築家が入って議論しながら進める方針を採っています。
学校建築は、教育の現場であるにとどまらず、地域と人々をつなげる拠点として多くの人が共感をもって受け容れられる公共建築となりうる可能性をもっていると考えています。
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