建築用 2025年01月20日

暗渠がつなぐもの(吉村生+髙山英男:暗渠マニアックス)

©︎画房雪

暗渠マニアックス

暗渠が好きで暗渠をテーマに執筆活動やイベントの企画などを行なう吉村生と髙山英男による二人組。

二人の共著書に『暗渠パラダイス!』(朝日新聞出版、2020)、『まち歩きが楽しくなる 水路上観察入門』(KADOKAWA2021)、『「暗橋」で楽しむ東京さんぽ』(実業之日本社、2023)、『暗渠マニアック! 増補版』(ちくま文庫、2024)などがある。また、本サイトに寄稿されている本田創氏らとの共著書に『はじめての暗渠散歩』(ちくま文庫、2017)がある。

https://www.ankyomaniacs.com/

 

吉村生(よしむら・なま)

1977年山形県生まれ。深掘型暗渠研究家。郷土史を中心とした細かい情報を積み重ね、じっくりと掘り下げていく手法で、暗渠のもつものがたりに耳を傾ける。

X@nama_kaeru

bloghttp://kaeru.moe-nifty.com/

 

髙山英男(たかやま・ひでお)

1964年栃木県生まれ。中級暗渠ハンター(自称)。マーケターとして勤めた広告会社を2024年に定年退職。著書に『絵でみる広告ビジネスと業界のしくみ』(共著|大城勝浩、日本能率協会マネジメントセンター、2008)などがある。

X@lotus62ankyo

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1 つなぐものとしての「暗渠」|吉村生

われわれ暗渠マニアックスは、暗渠を「かつて川や水路だった空間」と定義する(土木等の用語としては、「地下に埋設された水路」を指すことが多い)。川が暗渠にされる理由は多様だが、汚濁や水害を理由に高度経済成長期に蓋をして道や公園等にした事例が目立つ。すなわち、川の上になにかを「くっつけた」ものが暗渠ということもできるかもしれない。そしてその下には、川だった時代の歴史が眠っている。そのように隠されたものを見つけることは暗渠趣味の醍醐味であり、隠れたものが浮かび上がるとき、暗渠がなにを「つないで」いるかが、そこに見えてくる。

暗渠は、隠れたネットワークで土地と土地をつなぐ。

上京してから私が住んだ場所・通った場所がみな同一水系の流域だったことに、暗渠を知ってから気がついた。暗渠に目覚めた時に住んでいたのは東京都杉並区の桃園川付近であり、初めて恋に落ちた暗渠も桃園川。最初に住んだ西荻窪には松庵川が流れ、ひとつ前に住んだ新高円寺は小沢川の流域で……すべて、神田川水系の暗渠だった。シナプス伝達のようにまたたく間に土地がつながりをもち、同一水系の街に姉妹都市のような親近感をおぼえ、他の神田川水系の暗渠にも足を運んでみたくなったものだ。
 
また、川のない場所に新たに広がり、産業を支えた玉川上水のような用水路の暗渠もある。今は見えないそれらの接続点を探すことは、発見でもありパズルを解くようでもある。

東京都杉並区高円寺付近の桃園川緑道。昭和40年代に暗渠化された。憩いの場として親しまれ、この場所は漫画『ひらやすみ』(真造圭伍、小学館、2021−)では愛の告白の場として描かれた重要ポイントでもある
撮影=吉村生

暗渠は、昔の人の想いと今をつなぐ。あるいは人と人を。

暗渠のほとりに住む人は、川の思い出をもっていることがある。たとえば、名古屋市中村区の中井筋で暗渠ツアーをおこなったときのこと。暗渠脇で作業をされていた方に伺ったところ、目の前の細道が小川だった時代を知っているという。ハエという魚が泳いでいて、捕まえたこともあったよ、と。たちまち足元に水辺が浮かび上がり魚が泳ぎ出すような気がした。ささやかな思い出はまるで宝物のようで、地面に情報が投影され風景が豊かになる。暗渠を知らない人がそれらの話を聞いたなら、きっと、なにもないと思っていた街の片隅にも、特別な味わいがもたらされることだろう。

中村公園南にある、中井筋緑道から横に逸れた分流の暗渠。ここでかつての水面を想像し立ち止まった。それと知らなければ見過ごしてしまうような狭さであり、このような細道の暗渠探索もたのしい
撮影=髙山英男

暗渠は、かつて隔てられていた土地どうしを、自らがつなぐ。

川や水路は、その存在がすでに土地を分断している。そのため行政境界になることがあるし、住民も川の向こうに心理的な隔たりを感じやすい。けれど暗渠になれば、隔てるものは消失する。つまり暗渠化自体が「つなぐ」行為なのだ。たとえば東京都中央区の銀座周辺には、たくさんの運河があった。有楽町駅から東へ行くと、高速道路の高架下にショッピングモールが連なっている。そこは中央区と千代田区の区境、かつ外濠川や汐留川などの元運河で、それゆえ地番がないということは知られた話だ。川が埋められ店舗となったことで、人々は隔たりを忘れて行き来するようになった。これから高速道路(KK線)も遊歩道となるそうで、かつての川の流れの上を、人々はさらに縦横無尽に歩くようになるのだろう。

昭和戦前期の有楽町駅付近
出典=地図アプリ「東京時層地図」((一財)日本地図センター)
区境のラインが入っている駅前を流れる川が外濠川、南が汐留川である。ほかにも京橋川、築地川などが流れていたが、高度経済成長期に高速道路に変貌した

このように川の上に蓋を「くっつけた」暗渠は、新たな価値を生み出した。

舟でしか往来できなかった水上に新たな空間ができ、人がゆきかうようになる。暗渠上の親水公園は、蓋をはがさずに再生水を流すことで、心地よい水辺を創出した。危ない川の思い出を見ぬふりはできまいが、新しい世代のため、土地と意識が加工されてゆく。
 
東京都江東区で暗渠化が始まる昭和50年代、一部の住民は汚い川に顔をしかめながらも「川をなくさないで」と言った。たとえ汚くても、ともに過ごしてきた川との情緒的つながりはある。一方で、蓋をされたことで安堵もする。暗渠化は必然だったとして、うっすらと川の気配を保ちながら存在し続ける暗渠は、古さと新しさを重層的に備えた特殊な空間といえるだろう。

江東区と墨田区を流れていた竪川は江戸時代初期に開削されたが、一部を残して埋められ、水辺のある公園となっている。高速道路が屋根の役割を果たしている
撮影=吉村生

過去と現在、人と人、街と街。暗渠はそういったものをつなぐ、接着剤のような存在だ。なかでも人々にとって大事なものを、形を変えることで保持しながら、「つないで」きたといえるのではないだろうか。

2 つなぐものとしての「暗橋」|髙山英男

「暗橋」とその残され方

そこが暗渠だというもっとも確かな目印は、橋跡であろう。川もないのにぽつんと橋が残っていれば、きっとそこは暗渠に違いない。そんな暗渠に佇む橋跡を、私は勝手に「暗橋(あんきょう)」と呼んでいる。
 
暗渠化されて不要になった橋は、たいてい撤去され廃棄されてしまう。街なかの小川にひっそりかかっていた橋などではなおさらだろう。そんな危機を乗り超え今なお残る暗橋は、宝物のような存在だ。
その残り方は大きく三つに分けられる。
 
ひとつは、元の場所を離れ、博物館や近所の寺社などに保存されるもの。物理的に川とは切り離されているが、「橋」として恭しく展示されているため、しっかりと川の記憶を今にそして未来につないでいる状態と言える。

松竹キネマの撮影所の記憶とともに東京都大田区民ホール入口に展示されているのは、呑川の支流逆川にかかっていた「松竹橋」
撮影=髙山英男

二つめは、元の場所に記念碑的に残されているもの。行政や地元有志などによって説明板が置かれたり、緑道や公園などそれなりの「ステージ」が用意され、これもかつての川とのつながりを今に伝えるものである。

新潟市の文化遺産にも指定されている、人情横丁に残る「浦安橋」。かつて二番堀にかかっていた暗橋で、詳しい背景などの説明板も添えられている
撮影=髙山英男

しかし三つめは違う。たんにそこに「残ってしまった」だけ。だれからも構われることなくまただれにも頼ることなく居続ける、いわば「野良」の暗橋である。なんの説明もなくひっそりとそこに佇んでおり、多くの人はそれが橋だったことに、いやもしかすると存在さえも気づかない。こんな暗橋は、川どころか、もはや世間とのつながりさえもとうに失くしてしまっているようだ。

愛知県一宮市の一宮井筋暗渠に残る「へいわはし」。住民には、駐車場の仕切りもしくはゴミ集積場の網台くらいにしか思われていないことだろう
撮影=髙山英男

空っぽなどない、すべてはつながっている

最近、般若心経の本を読んだ(ティク・ナット・ハン『ティク・ナット・ハンの般若心経』馬籠久美子訳、野草社、2018)。「色即是空 空即是色」とは般若心経のはじめのほうに出てくる有名な一節だが、これまで私はこの「空」のことを「からっぽ」「無」であると思い込んでいた。しかしこの書はそれを陥りやすい誤解だとし、空を「独立した存在などない」という状態、すなわちすべてがすべてを含んでおりそのなかですべてがつながりながら変化し続けている状態だと教えている。そしてそれに気づくのが悟り(世界の理解)への第一歩なのだと。
 
世の中から離されてしまったような野良暗橋も、じつは川の記憶や川の尊厳としっかりつながっているのである。ようはその存在に気づくかどうかなのだ。
 
不思議なご縁だがその本も読み終えようという頃、あるお坊さんとTV番組のロケで丸一日ご一緒する機会を得た。ロケの合間に授かった、「私たちのまわりのものすべてが宝物。その一つひとつに気づくほど豊かになれる」という言葉が心に残る。
 
これもまるで野良暗橋のことを言っているようではないか。人々の視界にさえ入らない野良暗橋。入ったとしても、まさか橋だとは認識されない野良暗橋。しかし、それに気づけばたちまち川とのつながりや暗渠化され今に至る街の変化が見えてくる。気がつくかどうか。それが宝を手にするか否かの分かれ道だ。

高知県南国市、新川川暗渠に残る暗橋の親柱。後ろに写る床屋さんにお声がけすると、「へえ! 店の前にあったのに、きょうまで存在に気づかなかった」という返事が返ってきた
撮影=髙山英男

「街あるき」趣味の変遷

街あるきが趣味として成立するようになったのは、1990年代初めから半ばにかけてであろう。TVで散歩番組が始まり、散歩専門の雑誌が創刊されたのもこの頃で、身近な名所や地元グルメを「Enjoy」する街あるきが市場として確立した時期だ。その約20年後、これに革命を起こしたのが2008年スタートのNHK『ブラタモリ』で、街を学び知る「Learn」という新たな街あるきを浸透させた。
 
それを経て今、「Find」の時代がやってきた。道や地形、団地や鉄塔などなんでもいい、自分の興味関心のフィルターを通して、自分だけの風景を発見する街あるきが興りはじめている。もちろん暗渠も、そのフィルターのひとつに過ぎない。なんでもない風景、なんにもない街でもじつは、そこに宝物があふれているのだ。それを「Find」する時代が今なのだ。

野良暗橋がつなぐ「Pride」

では次に向かうのはどこか。
 
私は「Pride」だと思っている。さまざまなフィルターから発見された風景は、「隠れていた宝物」であり、シビックプライドという言葉があるようにそれは街の新たな「Pride(誇り)」となるはずだ。また、その過程で、見つけた自分が街に含まれ、また街も自分のなかに含まれるのだと、つまり「空」としてつながっているのだと気づいた時、その宝物は自分自身を勇気づける「Pride」にもなっていくにちがいない。
 
暗橋、とくに野良暗橋を見つけ、そこから川を思うことは、悟りへの小さな一歩だ。そんな想いできょうも暗渠をあるいている。

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