建築用 2024年09月06日

分野や領域の結合、歴史と未来のつながり──東京スリバチ学会の活動を通じて(皆川典久:東京スリバチ学会会長、鹿島建設建築設計本部勤務)

撮影=西谷圭司
皆川典久(みながわ・のりひさ)
東京スリバチ学会会長。鹿島建設建築設計本部勤務。
2003年にランドスケープデザイナーの石川初氏(現在は慶應義塾大学教授)と東京スリバチ学会を設立し、東京都内の凸凹地形に着目してフィールドワークを定期的に開催、観察と記録を続けている。2012年に洋泉社より『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』(現在は宝島社から増補改訂版として復刻)を出版し、今日の地形ブームの火付け役となった。TV番組の『タモリ俱楽部』や『ブラタモリ』などに出演。
主な著書に『東京スリバチの達人──分水嶺東京北部編』『東京スリバチの達人──分水嶺東京南部編』(昭文社、2020)や『東京スリバチ街歩き』(イースト新書、2022)などがある。

東京スリバチ学会とは?

はじめまして。東京スリバチ学会の皆川典久と申します。ヘンな学会名ですよね(笑)。ここでいうスリバチとは、調理器具のすり鉢のことではなく、スリバチ状の地形のことで、それを偏愛し、啓発活動を続けている謎の団体です。学会を名のっていますが、会員規約も入会資格もありません。学会という響きがなんとなくかっこいいし、参加者が家族に対して「学会に参加する」といえば、理解も得やすいだろうといった軽いノリで名付けたにすぎません。

そんなテキトーな学会がセメダイン社から執筆の機会をいただきましたので、活動を通じて感じた「なにかをくっつける」ことについて、綴ってみたいと思います。まずはスリバチ学会が偏愛するスリバチ状の地形と活動の内容についてご紹介しておきます。

東京はスリバチの都!?

東京は「坂の町」と紹介されることがありますが、皇居よりも西側の「山の手」といわれるエリアは凸凹の多い不思議な地形をしています。凸凹地形を上り下りする道が都心にはとくに多いため、「坂の町」と称されるのです。都心の「山の手」は武蔵野台地という洪積台地の東端に位置し、20~30m程度の標高をもっています。この台地を流れる川、例えば渋谷川や神田川、目黒川に石神井川などが台地を削って谷間を形成していますが、それらの河川はたくさんの支流をもち、その数だけ谷間があるというわけです。それが凸凹地形の成り立ちで、川はすべて台地の湧水を水源とし、水の湧く場所がスリバチ状の特有な地形となっています。

東京都心の凸凹地形図(国土地理院5mメッシュ標高データを「カシミール3D」を使って表現)
筆者作成
井の頭公園(武蔵野市)の井の頭池をご存じの方は、池の周りが斜面地になっていて、スリバチ状の地形であることが思い当たると思います。井の頭池は神田川の源流のひとつで、支流である善福寺川も妙正寺川もスリバチ状の土地で湧く清水を源流としています。

東京都心にもスリバチ状の場所がたくさんありますが、すべて湧水がつくった地形です。残念ながら現在は、湧水が枯れてしまったところが多いのですが、オアシスとも呼ぶべき湧水スポットがいたるところに存在した魅惑の地形の上に東京は位置するのです。
井の頭池がある場所は、スリバチ状の窪地となっている。ここから湧き出た水が神田川の源流となっている
筆者撮影

創設20周年をむかえた東京スリバチ学会

そんなユニークな地形に関心を抱き、ランドスケープデザイナーで現在は慶應義塾大学教授の石川初氏を誘って東京スリバチ学会を立ち上げましたのが2003年。フィールドワークを通じて観察と記録を続け20年が過ぎました。2012年に洋泉社より出版した『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』(現在は宝島社から増補改訂版として復刻)は、今日の地形ブームの先駆けともいわれます。また、NHKの人気番組『ブラタモリ』には、2014年の放送スタート時から、情報提供をしていたため、東京スリバチ学会の活動は「ブラタモリみたいなやつ」と言うと、理解してもらえるようにもなりました。

スリバチ学会発祥の谷間・薬研坂(港区赤坂)。下りては上る向かい合わせの坂道で、谷間は黒鍬谷と呼ばれていた
筆者撮影
町の成り立ちや発展には立地に加え、その土地特有の「地形」が関係していることが多々あります。地形に着目することは、その町の歴史や文化を紐解く鍵になるのです。東京スリバチ学会では、地形図や古地図を街歩きの際に参照することにしています。水の流れがつくった凸凹地形に、町の歴史や文化が必ずといっていいほど絡んでいます。自分たちが気づかなかっただけで、歩いてみるとどんな町でも必ず「お宝」が見つかる、歩かないのはもったいないのです。
新宿区荒木町の断面展開図。東京の都市形成は、特有の凸凹地形と深く関係している
筆者作成

人と人をつなぐスリバチ学会の活動

そんな東京スリバチ学会の活動に触発されて、2014年に名古屋スリバチ学会を地元の方々が立ち上げました。それを皮切りに、全国各地にご当地スリバチ学会が誕生しています。2024年時点で確認できるご当地スリバチ学会は、名古屋のほかに秋田・宮城・北関東・千葉・埼玉・神奈川・静岡・福岡・鹿児島・沖縄など、海外にもパリやローマ、フィレンツェにあるようです。地元の方々が独自に活動を続け、地域のコミュニティ形成に一役かっていることもあるようです。地形に着目して町の魅力を再発見する手法と、だれもが参加できる取り組みは2014年にグッドデザイン賞を、2023年には地域再生大賞の優秀賞をいただきました。地域の人と人をつなぎ、地域を越えた情報交換の活動の場にもなっていると確信しています。

また、20年以上も活動が継続できているのは、規約などをもたない緩い活動方針と、「スリバチ学会」といういい加減なネーミングがよかったのかもしれません。特定の分野やエリアに縛られることなく、自由に活動し情報発信を行っています。街歩き目線ゆえ、関心事は地形・地理・歴史など分野横断的だし、行政区分はとくに意味をもちません。ときには専門性の高い学問領域をつないだり、境界を超えたつながりのある活動に参加できたりしています。学術的な学会は、外から見ると閉じられていると感じることがありますが、それを無邪気につなぐ役割を果たしたり、隣り合っている行政区の橋渡し役になったりもしています。分野や領域を「くっつける」のもスリバチ学会ならではなのかもしれません。

留学生を連れてのフィールドワークの一場面。見おろしているのは高輪(港区)の樹木谷
筆者撮影

歴史をつなぎ、領域をつなげる

くっつけることでいえば、もうひとつ感じることがあります。それは時間軸的なもの、すなわち過去と現在のつながり、さらには未来へのつながりみたいなことです。東京を歩き続け、気づいたのは現代の町にも江戸の痕跡がいたるところに残っている、ということです。道路網や敷地割は意外なほど江戸の町と変わっていないので、歴史の連続性を実感します。たしかに「明治維新」という政治的な断絶はありますが、町の様相は江戸と地続きなのがわかるのです。さらに地形に着目するとで、江戸期以前、古墳時代や弥生・縄文の歴史も現在の町と関係していることに気づかされます。おそらくこれは東京に限らず、どんな場所でも同じ見方ができるに違いありません。

麻布台ヒルズの再開発が始まる直前の我善坊谷と呼ばれたスリバチ地形(港区)。江戸の町割りを残していた場所も変わりつつある
筆者撮影

未来へのつながり、発想の接着剤

そして最後にもうひとつ、未来へのつながりとは温故知新、まさに自分たちの住む町がどうあるべきかを考えるうえで、大きなヒントを学べるという実感です。地勢や水系の把握、そして土地のもつポテンシャルの発見や再評価は、まちづくり・まちおこしの起点になるだろうし、自然災害の多い日本では、防災を考えるにあたって極めて重要な視点だと思うのです。また、持続可能な都市像を模索する際に、さまざまの示唆とアイディアを与えてくれると考えています。土地固有の文化を考えるうえで「地形と水」はキーワードのひとつに違いありません。そして「地形と水」には、めぐみと災いといった相反する二つの側面があることを忘れてはいけません。災害大国ともいわれるこの国は、自然エネルギーにも満ち溢れた土地なのでしょう。そのポテンシャルの活かし方に、自分たちの未来や希望を見出せるという「予感」を抱いているのです。東京スリバチ学会が、そんな発想の接着剤になれることを夢見て。

日本橋(中央区)付近の将来像。首都高速道路の高架橋撤去に合わせ、水辺の利活用を呼びかけるために作成したCGパース。最近は「水の都・東京」の復権に向けた活動にも取り組んでいる
作成=東京スリバチ学会

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