建築用 2024年04月06日

看板建築が未来に繋げる街の魅力(宮下潤也:一級建築士、建築イラストレーター)

宮下潤也(みやした・じゅんや)

1989年生まれ。一級建築士。筑波大学芸術専門学群デザイン専攻卒業後、建築設計の仕事に従事する傍ら、2016年より看板建築を題材としたイラストレーションの制作を始める。著書に『看板建築図鑑』(大福書林、2019)、『東京のかわいい看板建築さんぽ』(エクスナレッジ、2020)など。

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「看板建築」と呼ばれる建物をご存じだろうか。看板建築とは、関東大震災後に東京・神奈川を中心に生まれた木造建築の一種で、伝統的な長屋のファサード(建物の正面)を銅板、モルタル、タイルといった不燃材料で飾り立てた建築物のことをいう。建築家・建築史家である藤森照信氏が建築学会の壇上で発表し、今日までじわじわとそのファンを増やしている。

要素の接着と看板建築

看板建築は、異なる要素の接着から生まれている。

まず構造として、木造長屋に不燃材で被覆したファサードをくっつけている。明治維新以降、建築にも西洋化・近代化の波が押し寄せ、伝統的な瓦屋根・板葺き屋根の木造建築から、一気にレンガ造、石造、木造の西洋建築技術が流れ込み、擬洋風と呼ばれる洋風を模した建築が生まれた。1923年に発生した関東大震災の復興として、全国から首都圏に大工や左官工などの建設業者が集結し、土地区画整理事業に基づき正面を不燃化した木造長屋が建てられ始めると、そのファサードに意匠的な工夫を凝らしたものがあらわれた。これが看板建築の興りだといわれている。江戸時代から続く商店建築の型式である「長屋」と、横浜から急速に流れこんだ「洋風建築」。その二つが公と私、すなわち建築の外側と内側で接着している。

図解「海老原商店」。1階の小上がりまでが店舗で、その先が住居部分だった

©宮下潤也

さらに看板建築の内側にも、商空間と住空間の二つの要素がくっついている。現存する看板建築の代表格である神田須田町の「海老原商店」は、1階の前面は繊維製品を扱う店舗であり、1階の奥と2階、屋根裏部屋が家族の生活空間であった。それだけ商いと住まいの距離は近く、路面店の真上のベランダで洗濯物を干す光景は、東京下町のごくごくありふれた風景であった。

看板建築とは、木造長屋と装飾されたファサード、伝統建築と西洋建築、商空間と住空間、それぞれ相反する要素が共存し、産み落とされた時代の申し子だったのだ。

看板建築の今

こうした看板建築も、年々数を減らしている。戦後、高度経済成長、情報通信技術の発達と、めまぐるしく世の中の状況が変化していくなかで、戦前より続く店舗併用住宅が、都市部では大型の開発に飲み込まれ、地方では過疎化とモータリゼーションにより、経済活動の中心から離れていく風景が全国で見られることとなる。同時に、看板建築が本来有していた「ファサードの装飾によって店の存在感を示す」という意味が希薄になり、老朽化もあいまって、多くの優れた看板建築が解体されてしまった。

「安室薬局」のファサード
©宮下潤也
2022年には千葉県木更津市にあった「安室薬局」の解体が一部のファンの間で話題になった。ファサードを飾るモルタル造形の迫力において国内でも最高峰といえるこの建物の解体に、あらためて保存していくことの難しさを思い知らされた。鏝(こて)を使いモルタルで自在にレリーフを描く左官技術や、板金で矢羽根や青海波といった文様を細工する技術は、現代では再現が難しいものもある。職人不足に加え、手の込んだ伝統技術のニーズが少ない昨今の建築事情により、技術を継承していくことそのものが困難だからだ。

旧商店のファサード。小さな銅板を組み合わせ、気の遠くなるほど繊細な文様で埋めつくしている

©宮下潤也

モルタルで仕上げられた薬局のレリーフ。フェストゥーン(花綱)と呼ばれる装飾と、月桂冠に囲まれた「薬」の字

©宮下潤也

古い建築の保存と課題

古い建築を維持するには、現代の生活に適した改修のほか、耐震改修、破損・腐朽・漏水した部位の交換など、費用がかさむ。更地にして収益物件を新築したほうが安上がりで、将来的にも投資したコストを回収しやすい。こうした経済的な理由により、市街地の建物の表面は、必然的に劣化の少ないサイディングやアルミサッシに置き換わっていった。また木造住宅密集地域では地震とそれに伴う火災のリスクが大きく、不燃化・耐震化のための建て替えも推奨されている。

一方で、古民家を改装したカフェや、古い建物をリノベーションした店舗は人気が高く、新築でもあえてアンティーク風の内装にしたり、汚し塗装を施した雑貨を買い求めたりする人も少なくない。レトロなもの、味のあるもの、手触りのある、人の手で作られたものに魅力や愛着を感じる人もいるだろう。こうした趣向はなにも日本に限ったことではなく、西欧の歴史的な都市では景観保全を目的とし、数百年前の建築物の解体は厳しく制限され、外観や構造は残してリノベーションを行うことが一般的だ。

古い建築を残すこと、過去の景観を維持する、または復活させることにはたしてどこまで意義があるのだろうか。ひとつは、都市をひとりの人格として捉えたときに、記憶が継承されることが都市の魅力を増幅させるという点がある。

パラッツォ・グラッシ(ヴェネツィア)。18世紀に建てられた貴族の屋敷は、美術館として再生された。改修設計は安藤忠雄
©宮下潤也
私が2023年に訪れたヴェネツィアは、ルネサンス期の建築物が現在も残っており、世界的に独特で魅力ある景観を形成している。シェイクスピアが『ヴェニスの商人』で描いたこの商人と貴族の街は、巨大な商館が運河に沿って立ち並び、海運を通じて世界の富と文化が集積した。ナポレオンの支配により自治権が奪われ経済的に衰退したものの、現在では街全体が世界遺産となり、世界中から観光客が押し寄せる観光都市へと変貌した。かつての商館はホテルや美術館、カジノなどさまざまな用途に改装され、人々の受け皿になっているが、これがスクラップ・アンド・ビルドの先に生まれた近代的な建築物ばかりだったら、おそらくここまで人を惹きつける都市になりえなかっただろう。ファサードは古いものを残しつつ、内部は現代のニーズを受容し、新旧折り合いをつけながら絶えず更新する。こうした地道な努力の積み重ねが、都市に深みと魅力を与えているのだと感じた。

看板建築が未来に繋げる街の魅力

日本でヴェネツィアほど大規模に古い景観が守られている都市はないものの、今残されている建物を存続させることはけっして不毛なことではない。なぜなら、古い建物自体がその街の過去を語り継ぐ媒体となり、街そのものに歴史的な奥行きを与えることが可能であるからだ。赤レンガ造りの銀行や、蔵造りの商家といった歴史的価値の認められた建造物ばかりではなく、庶民が自分たちの商いのために建てた看板建築でも、過去の姿を語り継ぐことができる。新旧の建物が互いの存在を尊重しながら調和し、並存している街並みは、それだけで魅力的になりえるのだ。そのために、耐震性・耐火性を確保し、外観は古い状態を残しながら内装やテナントを現代のニーズに合ったものに更新する仕組みなどを私たちは考えていく必要があるが、なにも残すばかりが手段ではない。

シマノコーヒー大正館といせや(川越市)

©宮下潤也

この2軒の看板建築、じつは右の「いせや」は看板建築を模して2003年に新築された。新しく造られる建物が既存のデザインコードを踏襲することで、景観形成に寄与した例となる。

関東大震災から1世紀を迎えた現在、当時の時代背景から産み落とされた看板建築は存続の岐路に立たされている。擬洋風建築の流れを汲む西洋と東洋、公と私が接着された境界面に佇んでいた看板建築は、過去と未来をくっつける媒体として、私たちの選びとる未来を静かに見守っている。



【了】

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