建築用 2024年08月23日

内面に「建築」を生む契機としての建築祭(倉方俊輔:建築史家、大阪公立大学教授)

©東京建築祭実行委員会
倉方俊輔(くらかた・しゅんすけ)
1971年生まれ。建築史家。大阪公立大学教授。「東京建築祭」では実行委員長を、「イケフェス大阪」や「京
都モダン建築祭」では実行委員を務める。
主な著書=『吉阪隆正とル・コルビュジエ』(王国社、2005)、『ドコノモン』(日経BP社、2011)、『はじ
めての建築01 大阪市中央公会堂』(生きた建築ミュージアム大阪実行委員会、2021)、『京都 近現代建
築ものがたり』(平凡社新書、2021)、『東京モダン建築さんぽ 増補改訂版』(写真=下村しのぶ、エクス
ナレッジ、2024)ほか。

建物から建築へ

建築とは「くっつける」ものではないだろうか? そんなことを最近、考えている。
私は「建築史」を仕事にしている。それを自分なりに表現すると、建物にまつわるあれやこれやを分析する学問となる。

建物は社会的に完成する。例えば、建てられた当時にどんな材料があり、なにが経済的だったかによって、つくられ方が変化する。一つひとつばらばらに建てられるものだから、なぜそんな形になっているのかは、その頃の周囲の地形や街のあり方を知れば、納得がいくかもしれない。建てさせたのがどんな人で、なにを企図していたのかにも出来栄えは関わっている。建物は多様な人々が携わり、完成するものなので、さまざまな職人の技や、まとめ上げた設計者などの腕前が、全体や部分から読み取れそうだ。だとしたら、建てられた頃に、どんなものが一般的だったのかは、調べるだけの価値がある。これらは当時の社会の仕組みや常識などに関係しているから、ひとつの建物から、今とは異なる過去がありありと見えてくるに違いない。個別の建物の楽しみ方も増えて、いっそう、かけがえがないという思いも深まるはずだ。このような、現在とは違う価値観があるという多様性への理解は、その建物を活用して今、生きることを楽しむ幅をいかに広げていくかということや、未来の価値を創り出す行為に力を与えるだろう。

建築史は個別の研究によって担われているが、その総体は以上のように、建物という社会のなかの異質とも言える要素が合流しているものを分析し、ばらばらにして、なにがくっついているかを明らかにする学問と捉えられる。そして、「建物とは『くっつける』ものなのだ」と心底から感じた時、その主語は「建築」に置き換わるのではないだろうか。

建築史家が現在に貢献できること

もし、そうだとしたら、建物をつくれなくても、建築は生めるのでは? もちろん、施主や使用者を含めて建物を成立させたり、維持したりする人がなくてはありえないのだが、建築史家からの現在への貢献は、それらとまったく別の地平で成し遂げられるのではないかと最近、考えている。

ここから、2024年に始まった「東京建築祭」の話をしたい。今年は5月25日(土)、26日(日)をメイン期間として、東京初の大規模建築公開イベントが開催された。
総論から先に書くと、これがのべ約6万5,000人の参加者を迎え、初めての開催で、国内最大の建築公開イベントとなった。建築公開イベントは、大阪では「イケフェス大阪(生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪)」という名で毎年、行われている。2014年に大阪市の主催で始まり、官民一体の体制で広がって、2023年はのべ6万人の参加人数に成長した。2021年の「モダン建築の京都」展(京都市京セラ美術館、会期=2021年9月25日〜12月26日)をきっかけに、京都でも2022年から「京都モダン建築祭」が開かれている。

これら大阪や京都の建築公開イベントに実行委員として関わり、今回、実行委員長を務めている私にとっても「東京建築祭」は予想外の盛況だった。週末、イエローを基調とした無料パンフレットを手にした人々を多く目にして、都心部の風景が変容していた。これまでの日本にはなかった、建築をめぐる出来事が起こっていることを理解した。

「東京建築祭」の会期中にはパンフレットを手に建物を巡る人々の姿が見られた
©東京建築祭実行委員会
若いワーカーらしい方は女性の率が高い。ご家族連れの方、グループでお越しの方、学生らしい方。個人的には敬愛する建築の編集者や研究者とばったりお会いした。本当にさまざまな方々がおられた。来ることへの垣根を低くしたかったので、それが嬉しかった。
「東京建築祭」にはさまざまな人々が訪れ、建築を楽しんでいた
©東京建築祭実行委員会

開かれた建築祭のつくり方

「東京建築祭」という名前が魅力的だったと、開催の後、何人もの方に言われた。そうなのかもしれない。

「祭」と銘打ったのには、いくつか理由がある。

ひとつは、週末2日間だけ、建物のふだんは公開されていない場所が公開されること。この形式の起源は1992年にイギリスで始まった「オープンハウス・ロンドン」(現「オープンハウス・フェスティバル・ロンドン」)にある。外からは目にした建物、中はどうなっているのだろうか? その日だけ扉が開かれて、好奇心が満たされ、さらに現在の使われ方や中の人の受け継ぐ意志に出会って、日常の奥にあるものが見出せるだろう。
「東京建築祭」では、所有者から不特定多数の来場を許可していただいた建物を「特別公開」と称して、無料公開を行った。人数限定で見せていただけるものは事前申込制・原則有料の「ガイドツアー」の形式で、解説付きの公開を実施した。解説するのは基本的に建物の中の方、オーナーやユーザー、設計者などだ。通常非公開の場所が御開帳されるというだけでなく、ふだんは出会わない方々が出会い、会話を交わして、互いを知ることができる祭りなのである。

「東京建築祭」で「特別公開」された建物
上から順に「三越劇場」(中央区日本橋室町)、「井筒屋」(中央区新富町)、「堀商店」(港区新橋)
©東京建築祭実行委員会
上|筆者のガイドによる「帝国劇場」(千代田区丸の内)ガイドツアー
下|屋上など通常非公開の場所を案内する「東京国際フォーラム」(千代田区丸の内)ガイドツアー
©東京建築祭実行委員会
2つ目は、皆でつくるものであること。楽しく、じんわり社会をよくする祭りを続けるには、健全なお金の循環が必要だ。
「東京建築祭」を実行するにあたって、次の方々に実行委員に就任していただいた(敬称略)。伊藤香織(東京理科大学教授)、田所辰之助(日本大学教授)、山﨑鯛介(東京工業大学教授)、野村和宣(株式会社三菱地所設計エグゼクティブフェロー・神奈川大学教授)、松岡孝治(公益財団法人東京観光財団)、宮沢洋(株式会社ブンガネット代表)、以倉敬之(合同会社まいまい代表)。
実行委員会のメンバーは、私を含めて無報酬である。実行主体に都道府県や市町村が加わっていないのが、これまでの大阪や京都、神戸、広島、品川区における建築公開イベントとは違う。巨大な都市・東京では、小さくインディペンデントに始めることにした。

個別につながった建物所有者にも無償で、善意で加わっていただいている。したがってスタッフを雇用し、発生する多くの連絡や調整、運営などを担ってもらわなくてはならない。来ることへの垣根を低くするためのデザインが成立するためには、プロへの対価が必要だ。さまざまな運営経費が考慮されていないと、祭りは持続的にならない。今の世の中では、社会的によいことをしているとも言えないかもしれない。
まずは公益財団法人東京都歴史文化財団アーツカウンシル東京への申請書を作成し、この種のイベントで初めて、芸術文化魅力創出助成を得た。残りの1,000万円以上は、クラウドファンディング、企業協賛、ガイドツアーでまかなう計画を立てた。皆のがんばりによって計画通りの資金が集まり、来年度以降も無料プログラムを含む建築の祭りを実現することが、夢物語ではなくなった。

3つ目は、地域で盛り上げるものであること。初年度は、対象エリアを、日本橋・京橋、丸の内・大手町・有楽町、銀座・築地とした。今年限りのものはエリア外でも加えたが、基本的には歩ける範囲に絞って、都市を再発見するイベントとした。移動する参加者に対して、まちはふだん目的地に直行するのと違った顔を見せるだろう。
公開されている以外の魅力的な建物やお店を見つけて、地域の活性化につながったらいい。いつもと違う、人々が行き交う光景が、次の参加者や建物所有者を誘い込むかもしれない。地域から、民間からの盛り上がりを通じて、来年度以降、いっそう内容が充実し、自然な形で対象エリアが拡がることに寄与したい。

共同体を育む内面の「建築」

「建築から、ひとを感じる、まちを知る」というのが、今年「東京建築祭」が掲げたテーマだ。建物の奥にはさまざまな人がいて、都市とつながっていることを、ひとりでも多くの方に楽しみながら、知ってほしい。建物を、それがなければ出会わなかったかもしれない人や物事を、くっつける存在として理解した時、その人の内面に「建築」が生まれるのではないだろうか。なにも変わっていないように見えながら、たしかに共同体としての社会を育む。来年、2025年以降も、その実現への手助けをしてほしい。

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