建築用 2023年03月24日

巧まざる造形の鑑賞(八馬智:大学教授)

八馬智

1969年生まれ。千葉工業大学創造工学部デザイン科学科教授。主な著書=『日常の絶景──知ってる街の、知らない見方』(学芸出版社、2021)、『ヨーロッパのドボクを見に行こう』(自由国民社、2015)ほか。

日常の風景の探索

私たちのまわりにある日常の風景は、無意識の中に埋没しやすい。ところが、自分の心境の変化や時間帯の違いなどのふとしたきっかけで、いつもとは異なる表情に見えて新鮮な気分になることがある。そうした体験は、ささやかなよろこびをもたらしてくれる。もしかするとそれらの蓄積は、生活の質の向上に結びつくかもしれないし、創造性の源泉になるかもしれない。

もしそうなら、日常の風景をより能動的に、面白がりながら探索したい。見方をわずかに変えることで、それまで見えなかった姿を浮かび上げる体験を意識的に行うのだ。その実践に際して筆者が好んで着目している対象は、都市の人工物でありながら人の意図からはみ出した現象だ。それらを「巧まざる造形」と称して写真によって収集している。その対象をさまざまな角度や距離から観察し、それが成立している理由を多少の妄想を交えながら勝手に捉え直すのだ。いくつか例を見ていこう。

美しい汚れ

写真1 富山県氷見市|2015

意図することなく雨水をアクションペインティングのように活用した、見事な汚れの事例。塀の上端に載せられた瓦を伝った水滴が、長い時間をかけてゆらぎのあるリズミカルな文様を描いている。最下段にはクラックが描く微細な線と雨水の跳ね返りによる斑点が、見事な山水画を浮かび上げている。さらに、水平方向の段差によるシャープな陰影が強烈なコントラストを生み出し、雨だれの柔らかく自然な振る舞いを強調している。

無自覚な抽象壁画

写真2 千葉県千葉市|2022

道路をくぐる地下歩道の壁面に、微妙に濃淡が異なるブルーやグレーが、四角や三角の幾何図形で描かれている。その輪郭はややぼんやりしている。おそらく落書きをする不届き者と、治安を維持する行政側の長年にわたる格闘の末に産み落とされた抽象絵画であろう。有機的で奔放な人間の内面を、社会性のある定型に押し込めている様子を表現した、社会のエッジにおける参加型インスタレーション作品だと解釈できるかもしれない。

ホンモノになりたい

写真3 黒部市|2014

芸術や技術などの創造的行為において、自然の成り立ちや他者の技能を体験的に模倣することは極めて重要な意義がある。模倣を繰り返すことで良質の学びを得るのだ。そう考えると、丸太風の外観をまとったコンクリート製水飲み場も、模倣によって新たな価値を獲得する過程にあると捉えられないだろうか。ホンモノとニセモノの境界はどこにあるのか、なぜニセモノは悪とされるのか、そもそもホンモノとはなにかなど、深淵で本質的な命題を突きつけられる。

浮遊する室外機

写真4 仙台市|2021

外壁が漆黒にペイントされた雑居ビルの側面に取り付けられた室外機群。パイプ類も壁と同色に塗られていることで、塗装されていない室外機の存在が極限まで際立ち、まるで宙にちりばめられているかのような様相を呈している。これをビルオーナーがこれまでコレクションしてきた室外機をうれしそうに展示している様子だと見立てると、あらためて展示された作品を鑑賞するという視座を獲得できて、妄想が大いに膨らむ。

隣家の痕跡

写真5 熊本市|2017

かつて存在した隣家の木造二階建ての家屋のフォルムが、コンクリートブロックによる図像として鮮やかに浮かび上がっている壁面。ビル外壁全体をキャンバスに見立てると、テクスチャーの差異の現れ方が絶妙なバランスで構成されていることに気付く。ベニヤ板によってふさがれた窓、モルタルの奥にうっすらと感じられる柱と梁、木造家屋の名残かもしれないやつれたトタンなど、見れば見るほど味わい深さが増してくる。

高低差を乗り越える

写真6 勝浦市|2017

限られた平面の中で円弧を描くように高低差を解消している階段とスロープ。エッジの効いた段差と滑らかな曲面の対比は、得も言われぬ野性的な緊張感がある。荒々しいコンクリートのブルータルな造形やテクスチャーがより印象深いものになっており、素材が潜在的に有する可能性を拡張している。美の実現を目論んでいない場面で、個別の理屈が衝突して生まれた独特の面白さと言ってもいいだろう。

延命治療の現場

写真7 福井市|2014

老朽化したモダニズム建築の耐震性能を高めて延命を図る、後付けの耐震補強。水色のラチストラスと暗い色のビル躯体とのコントラストが冴え、さらに差し色の赤が彩りを添えている。オリジナルの外観の保全を完全にあきらめて、根底から印象を変える斬新で小粋な耐震補強を行った英断を称えたい。地震大国の日本ならではの風景として、改修を重ねながら末永く丁寧に使う重要性を視覚的に伝える媒体になっている。

露出した内蔵

写真8 大阪市|2015

ビルの屋上に張り巡らされたダクト類。建物は柱と壁という、いわば骨と皮によって内部に空間を生み出すが、動物が生体としての機能を保つための内臓や血管のように、内部環境を健全にするための設備が必要となる。そして、裏側がない建物は屋上がバックヤード化して内臓が露出しやすい。ややグロテスクではあるが、都市の断面を鑑賞する貴重な場面として機能している。

際に生じる巧まざる造形

筆者は気分転換したいときなどに、これまでストックしてきた大量の写真を眺め直しては、ゆるく分類することを繰り返している。すると、いくつもの観察のテーマが自分の中に醸成されてくる。そのテーマを携えて街を歩くことは、なんてことはないと思い込んでいた日常の風景に、あらためて意味を付与する行為となる。徐々に視野が拡張されて、未知の知の領域に踏み込むような感覚に陥ることもある。日常の風景の探索は、ものの見方を変えることにつながる可能性があるので、多くの方にお勧めしたい手法だ。

なお、巧まざる造形は都市の中にある「際」に生じやすい。たとえば、高低差がある地形と人工物との物理的な際に、内側と外側という空間的な際に、古いものと新しいものという時間的な際に、此方と彼方という意味的な際に。さまざまな制約や機能が交錯する難しい状況を乗り越える場面には、多種多様な試行錯誤が凝縮されやすいと考えられる。そのあたりに着目して街中を観察すると、面白い物件が目に入りやすくなるだろう。


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