建築用 2023年04月06日

都市を支えるインフラの鑑賞(八馬智:大学教授)

八馬智

1969年生まれ。千葉工業大学創造工学部デザイン科学科教授。主な著書=『日常の絶景──知ってる街の、知らない見方』(学芸出版社、2021)、『ヨーロッパのドボクを見に行こう』(自由国民社、2015)ほか。

インフラの眺めに現れる都市の際

都市計画の観点からすると、都市はある一定の輪郭を持っているように見える。そこでは対象範囲が明示され、エリアごとに土地利用や建築基準などの計画や規制が定められている。しかし実際の都市では、その輪郭には一概には言えないゆらぎがある。おそらくそこに明快な正解はなく、読み取り方によってさまざまな見方が浮かび上がってくる。

ではその前提に立ったとき、「都市の際」にはどんなものがあるのだろうか。具体的に何が都市と非都市を隔てているのだろうか。ここでは「インフラ」を手がかりに、そのヒントになりそうな風景を列挙してみる。そして、都市が成立している背景や意味を振り返り、観察のスケールを拡大しながら都市の際の探索を試みる。いくつか例を見ていこう。

コンテナが描くピクセル画

都市は、人や物が行き交う交通の要衝に形成されやすい。そのなかでも、海上物流の拠点である港湾は、巨大な都市の形成過程において重要な役割を担ってきた。例えば港湾は、その規模が大きくなるとともに、一般の人々が容易に立ち入ることができないエリアが多くなる。つまり、その重要性に比して市民生活からどんどん離れ、視界から外れていく。いわば、都市のバックヤードになっているのだ。

「コンテナ」ターミナルがいい例だ。コンテナが積み上げられた様子を外側から見ても、何がどこに運ばれているのかまったくわからない。多様な形態の貨物を効率的に運搬可能にした物流システムは、リアリティが失われる風景を生み出した。それは、都市の際におけるもののやりとりを、粒度が粗いコンテナというピクセルで描き直し、抽象化したものと捉えられる。

写真1──東京における物流の正面玄関たる品川コンテナ埠頭の眺め(東京都品川区|2015)

写真2──高層ビル群を背景とするコンテナターミナル(シンガポール|2017)

海岸を守るクローン兵

海岸は地理的に陸地と海を隔てているという点で、たいへんわかりやすい都市の際と言える。その海岸は、波浪、高潮、津波といったジオスケールの自然現象に晒され、海岸線の浸食、砂浜の消失、交通の分断、家屋の流失、人命の喪失などの被害が古来より延々と繰り返されている。つまり、われわれの日常を維持するには、膨大な長さの海岸の防護が不可欠なのだ。

そのために用意されたのが、コンクリートでつくられた「消波ブロック」と呼ばれるクローン兵たちだ。陸側には防波堤や防潮堤、沖合には離岸堤や人工リーフなどを構築するために、彼らは集合体として配備される。港湾の岸壁の前で整然と隊列をなしている光景に出くわすことがあるが、いったいどんな心境で出陣を待っているのだろうかという妄想をかき立てられる。

写真3──消波ブロックを三重に配置して防御を展開している護岸(富山県滑川市|2014)

写真4──規律よく並び出陣を待つ消波ブロック(富山県射水市|2015)

無愛想な都市の守護者

都市は水を得やすい平地に発達する。裏を返してみると、潜在的に水害が起こりやすい場所に立地しやすいとも言える。そのため、自然の営みによる災害リスクを低減するために、現代社会では川の流量、流速、流向などをある程度人為的にコントロールしている。そしてその治水システムの一部に、大量の雨水を一時的に貯留する「調節池」や、本来の河道ではない場所に掘られたバイパスである「放水路」などがある。

それらは非常時において流域の都市を守るべく極めて大胆な行動を取るが、常時はとても静かに、無愛想にしている。しかし、スケールの大きさに起因する違和感を消すことはできず、なんとも重厚で不思議な存在感を放っている。その光景を目撃することで、都市の日常生活を守るためには莫大な労力がかかるのだという事実を受け止めたい。

写真5──地下神殿と呼ばれる首都圏外郭放水路の調圧水槽(埼玉県春日部市|2021)

写真6──岩山を荒々しく削り取った曽木の滝分水路(鹿児島県伊佐市|2017)

大地の巨大な穴

人類は有史以前から穴を掘り続けてきた。断熱性や保温性のある住処として、生活で出た廃棄物を埋める場所として、死者を弔い大地に還す場所として。科学と信仰が一体だった頃、莫大な利益や強力な軍事力につながる錬金術に魅せられ、採掘の技術や規模は拡大していった。そして、蒸気機関による動力を手にしたことで、鉄鉱石や石炭をはじめとする鉱物資源の大量採掘や大量輸送が実現し、産業革命という構造変革が一気に加速した。現在も多様な方法で大地の中に眠るさまざまな鉱物資源を獲得し続けている。

地球の一部を削り取り、それらを消費することで、ようやく都市の日常が成り立っているという現実がある。途方もなくスケールの大きい穴の風景を眺めながら、自分たちの生活との距離感に思いを馳せる。すると、莫大な自然の恩恵に見合う水準で、われわれは文明や文化の質を高められているのかという問いを、正面から突きつけられた気分になる。

写真7──石灰石の露天掘り鉱山とセメント工場(山口県美祢市|2019)

 

写真8──褐炭の露天掘り炭鉱と火力発電所(ドイツ、インデン|2017)

 

山奥の実家

自然豊かな山中にある巨大な人造物のダムからは、下流に点在する都市の幻影を感じ取ることができる。膨大な水をためる機能は、たびたび発生する豪雨による洪水災害を低減し、安定的なクリーンエネルギーを創出し、飲料だけでなく農業や工業に用いるための水資源を確保している。このように、下流にある都市のためにダムが請け負っている仕事は多岐にわたる。都市から遠いところにあるけれど、その役割を考えればまさに都市の際と言ってもいいだろう。

ところが、都市生活者はダムのことをつねに意識しているわけではない。それどころか、邪険に扱うこともままある。でもダムは自身の重責についてことさら主張しない。むしろ、ピンチの時に頼ってくれればそれでいいとすら思っている節もある。それはまるで、みんなの実家のように。

写真9──直前に降った豪雨による濁流を排出する津軽ダム(青森県中津軽郡西目屋村|2022)

写真10──スイスアルプスの山中にある水力発電用のグリムゼルダム(スイス、グッタネン|2011)

都市鑑賞のすすめ

いくつかのインフラを題材にしながら、「都市の際」を概観してみた。インフラが内包している意味を考えると、都市の影響範囲は大きく広がっていることがわかる。言うまでもなくここで取り上げたインフラの事例はほんの一部であり、他にもさまざまな題材がある。それらを手がかりに、観察のスケールに幅を持たせながら都市に関する事象を鑑賞することをお勧めしたい。

都市鑑賞の際には、実際の空間で観察を深めることはもちろんだが、それと同時に写真を撮るとよい。写真は記録としての役割もあるが、思考のツールにもなる。後から写真を見返して、言語化を繰り返す、因果関係を整理する、背後にあるパターンを見抜く、時間や空間のスケールを変える、アナロジーを用いて置き換えるなど、さまざまなアプローチで観察し直すのだ。すると、次第に鑑賞の素地ができてくる。

都市鑑賞とは都市の内部にある現象を見るだけではない。外部も含め、都市を取り巻くさまざまな要素を観察し直すことだ。そして、「都市の際」と思しき風景を探索することで、これまでとは異なる都市像を自分の中につくり上げ、新たな見方を獲得できるようになるだろう。

関連記事

PAGE TOP

コピーしました