建築用 2023年08月23日

サッカースタジアムと複合福祉施設をくっつける。──《コミュニティビレッジ きとなる》から、「今治里山スタジアム」を「里山化」する(橋本憲一郎:建築家)

撮影:rulafa

橋本憲一郎(はしもと・けんいちろう)

1968年生まれ。建築家、服飾デザイナー。有限会社rulafa代表。

建築作品=《多治見大和幼稚園》(システムC2と協働、1996)、《身体障害者療護施設・デイサービスセンター ハートランド小牧の杜》(1998)、《東大井の集合住宅》(2004)、《犬山の住宅》(2004)、《Fruitier Rokka》(2006)、《Rokko Base Cafe(2017)、《Doggy Buddy Party管理棟》(2022)、《コミュニティビレッジ きとなる》(2023)ほか。

著書=『「まちづくり」のアイデアボックス』(山中新太郎との共編著、彰国社、2009)、『フィールドに出かけよう!——住まいと居住文化のフィールドワーク』(共著、日本建築学会建築計画委員会比較居住文化小委員会編、風響社、2012)、『建築・都市計画のための調査・分析方法[改訂版]』(共著、日本建築学会編、井上書院、2012)ほか。

翻訳=ライザー+ウメモト『アトラス——新しい建築の見取り図』(監訳:隈研吾、彰国社、2008)ほか。

FC今治の新スタジアム敷地内にある複合福祉施設《コミュニティビレッジ きとなる》外観

撮影:近藤篤 写真提供:今治.夢ビレッジ

「里山スタジアム」を「里山化」する

サッカー日本代表元監督の岡田武史さんが代表取締役会長を務めるサッカークラブ、FC今治(愛媛県今治市)は、「地域の人たちの絆を深め、知恵、信頼、共感など目に見えない資本を大切にする街づくりの核となる」ことを目指して、「365日人が集い、賑わいのある」場所をつくろうと、今年(2023)、新スタジアムを開設した。里山が重要なイメージソースとなっており、「今治里山スタジアム」と名付けられている。

「今治里山スタジアム」のメインスタンドからみた《きとなる》全景

撮影:rulafa

社会福祉法人来島会(愛媛県今治市)は、かねてから、「障がい」の有無にかかわらず、「すべての人が「障害」を感じることなく自分の意思で質高く暮らすことのできる地域社会の実現」をしようと、福祉事業に取り組んでいた★1。地域を元気にしたいという思いへの共感から、FC今治ともさまざまな協働を積み重ね、信頼関係を構築してきた。2022年に新スタジアムの賑わい創出事業の協業者公募で選ばれて、同敷地内に通所型の複合福祉施設を来島会が建設することが、決定した。

筆者は、「今治里山スタジアム」の敷地全体のランドスケープデザインを担当した高野ランドスケーププランニングに、初期の段階で協力をしていたご縁があって、この《コミュニティビレッジ きとなる》と後に名付けられることになる複合福祉施設の設計・監理を来島会から依頼していただくことになった★2。《きとなる》の中で、FC今治は、カフェ「里山サロン」を運営する★3。

1——近年の障がい者支援サービスのパラダイムシフトに沿って、本稿では、少数派に属する個々人(の身体)が、多数派に合わせて調整された物理的・社会的環境に接したときに現れる不都合を「障害(disability)」と呼び、「障害」から事後的に、少数派の個々人の心身に属するものと措定される特徴・傾向を「障がい(impairment)」と呼ぶ(参考:熊谷晋一郎『当事者研究——等身大の〈わたし〉の発見と回復』、岩波書店、2020)。来島会の越智清仁理事長がよく使われるたとえを借用すると、モノがよく見えないという不都合(「障害」)に関しては、眼鏡などの補助具の性能、提供可能性という物理的・社会的環境に依存するかたちで、「障がい」の有無の境界が見出されるということになる。

2——設計・監理にあたり、archipro architectsの協力を得た。

3——20237月現在、《コミュニティビレッジ きとなる》においては、来島会が「ジョブサポートセンターここすた」で自立訓練(生活訓練)・就労移行支援を、「らびっつ」で放課後等デイサービス・保育所等訪問支援を行っており、FC今治がカフェ「里山サロン」を運営している。《きとなる》には、里山スタジアム内外で生まれてくる働き場を、地域で共有していくための「共同受注窓口」も設置されている。

今年5月28日の今治FCホーム戦開催時には、放課後等デイサービス「らびっつ」の「感覚統合室」を地域の人々に開放した

写真提供:社会福祉法人来島会

FC今治が《きとなる》内で運営するカフェ「里山サロン」

撮影:近藤篤 写真提供:今治.夢ビレッジ

里山をイメージソースとしているといっても、かつて存在したような、暮らしと結びついた里山そのものをつくるわけではない。《きとなる》を設計するにあたっては、里山をあらためて解釈し、翻案する方法、いわば、「今治里山スタジアム」を「里山化」する方法を高野ランドスケーププランニングとともに、考えていくことになった。

切り分けられていたものをくっつける

新スタジアムの敷地は、里山の景観とは対照的な大規模な造成地にある。ヒトと自然(環境)を切り分け、後者を前者の操作(control)対象とみる近代の自然観は、自然環境を大きく変えてしまうことを畏れずに、全国至る所で山を切り崩し、よく似た大規模な造成地を出現させてきた。

この自然観のもとでは、自然(環境)と切り離されたヒトは、居場所とのつながりを実感できずにさびしさを覚え、ヒトと切り離された自然は、身近ではなくなったがゆえに、際限のない収奪の対象となる。生態系の持続可能性が失われるような伐採、乱獲、地形の改変などは、その例である。結果的に、ヒトその他の生き物の生活環境が悪化する。環境問題の素因のひとつは、この切り分ける自然観にある。

ランドスケープデザインとともに、《きとなる》の設計を通して、大規模な造成地にある「今治里山スタジアム」を「里山化」する方法を探っていった

撮影:archipro architects

一方、同様の意識の上での切り分けは、いわゆる「健常者」と「障がい者」とのあいだにも、存在してきた。社会的な条件によって変動する「健常者」と「障がい者」とのあいだの実体のない切り分けが制度化されると、両者の生活圏は隔てられがちになり、さまざまな人々が共に暮らす悦びが損なわれる。そもそも存在しない健全モデルがあたかも模範のように措定されてしまうと、生きる上での「障害(生きづらさ)」を周りの人々と共有することが難しくなる。「障害」は誰にでも起こりうるものなのに、自分がその当事者であると周りの人々に表明するのは、自らに欠陥や失敗があったと認めたかのようにみなされてしまいかねないからである。

多くの弊害がありながらも、これらの意識上の切り分けは、(限定された意味ではあるが)合理性や効率性の観点からは便利でもあるため、簡単にはなくすことができない。本来切り分けることができないものでも、意識の上での分離が進んでしまうと、それらを再びくっつけるためには、たとえて言うと、〈接着剤〉が必要になる。里山は、この〈接着剤〉をデザインしようとするとき、有効な参照源になる。

里山という言葉は、「里」と「山」が合わさってできている。「里」は、ヒトの手が入っていること、人工の換喩であり、「山」は、自然の換喩である。一般化すると、里山は、ヒトが手入れをし続けることで持続している自然であり、結果として形成される、人々が暮らしやすい環境であるとみることができる。

現実の里山で暮らす人が多くはない現代で、里山という言葉が喚起するのは、近代の自然観では切り分けられてきたヒトと自然が、再び融合する可能性である。ヒトは、自然を「操作(control)」しようとするのではなく、自然に「手入れ(care, nurse, maintain)」をすることによって、自然(環境)との結びつきを恢復する。また、人々が協働して手入れを行うと、協働した人々のあいだに、事後的に共同性が立ち上がる。事前に想定した条件をもって成員を選別する、容易に排他主義の揺籃となるような危うい共同体を経由することなく、人と人のあいだにゆるやかにつながりをつくっていく可能性がみえてくる。

物的環境・仕組みをつくる

くっつける対象は意識の上での切り分けだが、直接そこをくっつけようとしてもなかなかうまくいかない。〈接着剤〉として、協働して「手入れ」したり、また、さまざまな「障害」に出合ったときには、「障害」の存在やその解消方法について、周りの人と一緒に考えたり動いてみたりしやすいような物的環境と仕組みをつくることから、上述の切り分けの再・接着を誘導することを考える。かつての里山にあった入会地(共有地、コモンズ)や結い(協働を前提とする相互扶助、社会関係資本のひとつ)にならって、場所と時間を共有できるように物的環境と仕組みをデザインする。

《きとなる》とその周辺の物的環境をデザインするにあたり配慮したのは、以下のようなことである。

移動のしやすさが確保でき、グラウンドレベルの活動と相性のよい平屋を採用し、居心地のよいヒューマンスケールに分節した領域を配置する。さまざまな目的でこの場所を訪れる人々が、当初の目的に応じた場面とは異なる場面を視覚的・空間的に共有することで、種々の活動が相互に伝搬しうるように、各領域は、完全には閉じないで、かみ合わせるように、組み合わせる。来訪者がほかの活動に気がついたり、ほかの誰かの役に立ったりしやすい空間構成、路地のように人を誘う多正面性、内部/外部の中間領域の形成や増築等さまざまな変化や展開に対応可能な形式などを実現することを意図した。

領域の組み合わせ、部分から構想した複雑な切妻屋根の外観は、既視感からくる懐かしさと異化効果による目新しさの双方を感じさせ、ありそうでない独特さを醸し出す。「施設っぽさ」からの脱却は、訪れてみたいという気持ち、働く人や利用者の誇りを育む。

来訪当初の目的とは異なる場面を視覚的・空間的に共有することができるように、領域の組み合わせをデザインした

撮影:archipro architects

仕組みのほうでは、建築については、構造、環境設備、材料、維持管理計画において、地域・周辺環境の循環・持続可能性に寄与し、それが「見える」ようなモノ・方法を採用した。運営については、ランドスケープの手入れ(環境整備、敷地内に設けられた農地での作業)やFC今治のホームゲーム開催への協力などで、誰もが参加しやすい協働の機会を提示したり、地域内外の企業等と連携して働き場を創出したりするといった実践が始まっている。

サッカーには、経済合理性・効率を超えて、人をつなぐ力がある。「障害」に寄り添う福祉事業には、生きづらさを共有することから生まれる、人をつなぐ契機がある。日本最高のサッカーリーグ(Jリーグ)の試合が観られるスタジアムに、大人も子どもも訪れる複合福祉施設をくっつけることで、「ここに行けば、なにかに出会える」・「やりたいことがあったら、仲間を見つけられる」ような、「ハイレベルなコト・モノ」を体感したり、「能動的な体験」や「役割と居場所」を見つけ出したりする出来事の連鎖が生まれてくる。岡田武史さんが望んでおられる「心震える感動」・「心躍るワクワク感」・「心温まる絆」が溢れるスタジアムに向かって、小さな変化が積み重ねられつつある。

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