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建築用
2024年02月07日
暗渠がつなぐ過去と今(本田創:暗渠者)
「暗渠(あんきょ)」とは、蓋をされた川や地下に埋没された水路のことだ。「暗渠」は日本各地で簡単に見つけることができる。交通の利便性や安全確保のために蓋がけした水路や、洪水対策のために開削された地下水路など、さまざまな姿がある。
一方、東京をはじめとする大都市の中心部では、かつて流れていた小川や用水路が、市街地化に伴い暗渠となった場合が多い。その大部分は下水道に転用され、また地下で分断されたり埋め立てられたりと、もはや地下の水路の体をなしていないものも少なくない。それでも地上の空間を見れば、そこには川だった頃の名残が残っている。橋や護岸の跡、蛇行する路地、周囲との高低差などだ。それらを手掛かりに、地上の川跡をたどることができる。このような、地下の水路ではなく地上に見えている川や水路の跡を、より広い意味で「暗渠」と捉えた時、そこから何が見えてくるだろうか。
私が生まれ育った東京のとある街には、川の名前がついた通りがあった。小学生の時、そこは大正時代まで実際に川が流れていた暗渠であることを知った。言われてみれば、たしかにその道は川のように蛇行し、交差点には橋の名前がついていた。アスファルトに覆われた日常の生活道路は、祖父母の昔話や小学校の地域学習のなかではさらさらと流れる水面となっていて、そこでは川沿いの農家が大根を洗ったり、子どもたちが魚採りに興じていたりした。それは、自分が生まれた時にはすでに存在していない、話の中でだけ体験する失われた原風景であった。
そしてそこに残された暗渠は自分自身の原風景でもあった。友達の家に遊びにいく時、商店街に買い物に行く時、少し遠くの繁華街に出かける時。暗渠は気がつかぬうちに既に日常の中に溶け込んでいた。暗渠は、いま自分が暮らしている時空間と、失われた過去の時空間をつなぎ、水をめぐる土地の記憶を再びその場所につなげる手がかりとなったのだと言える。
「暗渠スケープ」 景観としての暗渠
このように暗渠の景観を意識的に見ていくと、先に挙げたような例のほかにも、川が流れていた痕跡を見出すことができる。これらの、暗渠ならではの特徴的な景観や、その景観を構成する要素を、私は「暗渠スケープ」(暗渠」+「ランドスケープ」)と呼んでいる。
暗渠スケープは2つの軸から捉えることができる。ひとつは時間の軸だ。それが暗渠になる前、暗渠化された時、そして暗渠になった後といった、いつの時期になりたった景観なのかという軸である。そしてもうひとつは形態の軸だ。それがどのようなもので、どのように見えるかという軸である。構造物などのモノから環境までグラデーションを伴った軸と言える。この2軸に沿って、主な暗渠スケープを列挙したのが下の図だ。
「暗渠スケープ」が呼び起こす空間と時間
暗渠スケープには、失われた川と土地の関係性や、川と人とのかかわりの変遷が刻まれている。例えば、都心部の暗渠沿いに湧水が見られることがある。川がなくなった今も、水が湧き、流れ出すような地形であることを示す暗渠スケープだ。弁財天が暗渠の近くに祀られていることもある。湧水や川が、灌漑用水や飲用水として大切に扱われていた頃の記憶を残すものだ。一方、銭湯は、流域が町となり、川が排水路へと姿を変えた後の様子を示している。少し郊外の暗渠に沿って、細長く続く敷地に連なる団地も、典型的な暗渠スケープのひとつだが、これらは川沿いの低湿地や水田を埋め立てた地に立っている。団地の景観が、そのままかつての水田の広がりを示す暗渠スケープとなっている。
また、暗渠スケープには川が暗渠化された時点の川沿いの状況も表れている。例えば暗渠に背を向ける家々の景観がある。暗渠は川だったから、川沿いに迫っていた家の正面は反対側にある。また、それらの家々が暗渠化直前の川に排水を流していたような場合、暗渠の路地にはマンホール蓋が連続して並ぶ景観が現れる。これは各家庭と暗渠に埋められた下水管をつなぐために設置された汚水ますの蓋だ。
これらの暗渠スケープは単独で見られることもあるが、多くの場合はいくつかの要素が混じりあってひとつの暗渠スケープとしての景観をなしている。その重層的な景観をひもとくことで、暗渠の背後に広がる、空間のつながりや時間の重なりが呼び起こされてくる。
消えていく川の記憶
これらの暗渠スケープは、決して不変のものではなく、時の流れとともに変化していく。市街地に取り残されたコンクリートの蓋掛け暗渠は、時がたつと埋め立てられたりアスファルトで覆われていく場合も多いし、暗渠が道路として扱われるようになると、周囲の家々の建て替えの際にセットバックが実施されて、本来よりも幅広になっていく。
そして川だった故に背を向けていた街並みも、そのようなタイミングで暗渠側に玄関や出入り口を設けることも多い。暗渠に残された橋も老朽化などを契機に少しずつ撤去されている。暗渠スケープはこのようにして徐々に失われ、周囲と同化していく。それとともに、川の記憶も薄れていき、そこに川があったことが顧みられることはなくなっていくのだろう。
暗渠がつなぐ過去と今
「暗渠スケープ」は、景観として現れた水の痕跡だ。それは「暗渠を見つけるための手がかり」(いわゆる「暗渠サイン」)というよりも、暗渠を起点として「水と土地、水と人とのかかわりの記憶をひもとく手がかり」なのだ。暗渠を景観として捉え、その「暗渠スケープ」にまなざしを向けることで、失われた川を通じてつながり広がっていた地理的な空間、そして人と水とのかかわりがそこに積み重ねてきた時間の奥行きが見えてくる。過去と今をつなぐこの体験こそが、私が暗渠に惹かれ続ける理由でもあり、暗渠を景観として捉えることの面白さであると言える。
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