建築用 2023年02月22日

都市と身体の糊代(稲田玲奈:ランドスケープアーキテクト)

稲田玲奈(いなだ・れな)

1994年香川県坂出市生まれ。慶応義塾大学石川初研究室を経て現在フジワラテッペイアーキテクツラボにてランドスケープアーキテクトとして勤務。学生時代は農漁村から都市郊外、都心までをひと続きの目線を持ってフィールドワークする。フジワラテッペイアーキテクツラボでは住宅・林業・旅館・児童養護施設などさまざまな営みの場の計画に構想─設計─運営の立場を行き来しながら携わる。

堤防にせり出す「庭」としての漁師の作業場

「都市」をより多くの人が生活基盤環境を均等に享受するためのシステムと捉えるなら、「都市の際」は誰しもの身近に生じるものではないだろうか。そう考えるようになったのは、堤防を乗り越え船小屋を構える青森の漁師の庭を見てからである。

図1──青森の民家の庭先。道路からの様子(以下写真は筆者提供)

そこは80歳を超えた漁師夫婦の家の庭だった。海を横目に岬に向かって車を走らせていると突如堤防を乗り越え船小屋を建てる民家を見つけた。その建物の佇まいや庭の使い方に興味を持ち、車を停めしばらく観察していると、そこに暮らすご夫婦が自作の階段や通路を渡って堤防を乗り越え海側と陸地側の間をいとも簡単に行き来している様子が見えた。通路沿いには漁業の作業道具が広がっており、頻繁にそこで作業が行われていることがよくわかる。その堤防は彼らの小屋の床となり、高さを出す段差となりながら生活を支え、まるでご夫婦の庭の一部のように見えた。

図2──青森の民家の庭先。堤防を越境する船小屋

図3──堤防の先でありテトラポットの上の床と小屋

都市のルールと身体の間に生まれる際

都市はそこが都心か地方かに関わらず、人が安心して便利に暮らすためのさまざまなシステムを敷設した。道路は都心から陸地の端までを均一な規格の舗装にすることで、人や生産物の移動を支える。堤防は海沿いを一定の高さにすることで海水から人の暮らしを守る。これらのインフラストラクチャーは必ずしも個別具体の場所に依拠するものではなく、都市の都合によって計画がなされる。私たちはあらゆる場所でそのような都市のシステムと隣接し暮らしている。

一方で生活者は、身体的な特徴や日々の活動など固有の都合を持っている。堤防は日々乗り越え海にアクセスするには高かったり、長時間過ごすには表面が不安定だったりと、その生活者の都合には合わず、そこで快適に過ごすには双方の要求の間を埋めるひと手間が必要である。今回の場合、ご夫婦は堤防の高さを補う階段や安心して長時間過ごすことができる床を工作することによってそのギャップを繋いでいる。つまり堤防上に現れた工作物は、堤防という都市のルールと日常的な居場所にしたいという生活者のルールが緩衝するところに現れる「際」の姿なのである。

そのような際の姿をその土地の変遷を辿りながらさらに観察してみる。

この民家のある集落は山と海の間の狭い場所にある。元々海岸沿いの陸地は民家一軒分程度の狭さしかなく、人は海を渡って他所への移動を行っていた。しかし近年の開発で徐々に道路や堤防が整備され、今では道路を挟んで海側に船小屋や作業するスペースを設ける幅がある。

作業中のご夫婦に話しかけると快く小屋を案内してくれた。おじいさんはウニを生産する漁師でこれらの小屋は漁業のために自身で徐々に作ったものだと言う。小屋には、漁具を置く納屋や収穫した魚類を出荷用に加工する場と、冷凍して保存する場所、日中に休憩する場所などが設けられている。

加工場は堤防とテトラポットの凸凹とした上部に板が貼られ、平らで作業するための十分なスペースが作られている。さらにその海側にはテラスのような場所もあり、おばあさんはそこへ座って海を眺めながらウニを洗うなど水を使う作業を行っている。テラスの床にかかる梯子からは、浜辺へ降りることもできる。また、堤防の内側には堤防の高さを利用した屋根のかかった物置スペースがある。そこにある道具は堤防が壁となり雨風から守られている。漁業するうえで必要な〈海の状態を確認する〉、〈海へ楽にアクセスする〉、〈収穫物を洗うなど水を使う〉、〈漁業のための多量の道具を保管する〉などの作業はこれらの工作物によって随分楽になっていることが見て取れる。

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図4──青森の民家の庭 アクソメ図

図5──テトラポット上の小屋内の様子

都市のルールの弱まりと個人の柔軟な姿勢

なぜこのご夫婦は公共物である堤防に工作することができたのだろうか。ご夫婦は目の前の道路に対しては何も置いていない。道路は車が通過するという機能のためにそこに何もないことが重要であるが、それと比べると堤防やテトラポットはその上面に何かを設置したところでその機能を妨げることはない。ご夫婦は生活に必用な場所を庭に作っていくなかで、敷地に隣接した誰も使わない場所を見出し、物を置いても問題ないことを確認し、徐々に庭を拡大させていったのだろう。

この堤防を越境し建つ小屋についてこの地域の役場はどのように考えているのだろうと思い、聞いてみたことがある。回答をしてくれた役場の方はすでにこの状況を認知していたうえで「これらの小屋を厳しく取り締まっても代替できる場所を提供できるわけではないので緩く見ている」と述べた。一方で、小屋を作ったおじいさんに「越境していることを注意されたらどうする?」と尋ねると、「自分で作っているので必要があればすぐに解体できる」と答える。

都市がより厳しくルールを取り締まれば、これらの工作物の状況が変わる場合があるということだろう。それを思うとこの際の様子は、今の都市の状態の現れとも言えるのではないだろうか★1。

山間部で生まれた、車両の規格沿いに現れる際

このような際の姿はほかの場所にも現れる。大学の研究活動で徳島県神山町の山間部の集落を見て回っていたときだった。集落の各家を繋ぐ道を登っているとひとつの民家の庭先に入りこんだ。そこは母屋や車庫などの施設や道具に囲まれており、どこまでが他者に共有された道でどこからが個人の庭なのか、その共有地と私有地の境目がわからなかった。そこを庭だと感じた大きな理由は、道沿いの道具が最近まで使われており、その道自体が作業場として使われていると見てわかったからである。

図6──徳島県神山町の山間部の家の庭 道からの様子

その空間がどのように発生したのかを気にしながらその集落の調査に訪れていたある雨の日、雨に打たれていた私を見かねてその家のおじいさんが母屋の軒先に招き話を聞かせてくれた。

話を伺うとその道は赤線道路★2だった。車両を生活に用いるようになった頃、歩行幅しかなかった道を拡幅する必要があった。その際に彼が選んだのは、役場に整備してもらうのではなく、セメントの支給を受け自身で道を拡幅することだった。公が所有するものでありながらその道を描いたのがおじいさんご本人であったことは、そこを庭たらしめる大きな理由だろう。では道を作業場として使っているのはなぜだろうか。

しばらく庭先を使う様子を観察していると、そこを通る車両が作る2つの「隙間」が理由だとわかった。

まずひとつめが、車両が通らないときの隙間である。車両が移動するには車体に合った道幅が必要だが、車両が通るその瞬間以外はただの広いスペースになる。おじいさんは車を駐車している間そのスペースを作業場として利用していた。もうひとつは人やモノが見出す車両の寸法に合わせて作った空間の大きさの「隙間」である。ここで利用されている軽トラックの寸法はおよそ全幅1,500mm×全長3,500mmで、これは道具を持った人間よりもはるかに大きい数字である。そこで実際に車を運転したり、周囲で作業を行ったりすると、車両が通過するときの余剰な小さなスペースを道具置き場として見出すようだ。車両の規格に即した庭のスペースは、身体用だけでは生まれ得なかった便利な余白を作っている。道沿いに置かれた道具たちは、都市のルールを持つ車両の規格と生活者固有の都合の間に存在し、そのギャップを縁取っていた。

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図7──徳島県神山町の山間部の民家の庭。アクソメ図

図8──徳島県神山町の山間部の民家の庭。上空からの様子

図9 ──徳島県神山町の山間部の民家の庭。 道沿いの手洗い場と道具

都市──身体間の糊代

今回の2つの例は都心から離れた農漁村のものであるが、これらの事象は都市のルールが見られる場所には起こりうるものである。それは都心部の密集住宅地の道路に出る植木鉢かもしれないし、道路沿いのケモノ道や、2×4材のようなホームセンターで売っている規格材を加工して作った家具かもしれない。農漁村は多くの時間を庭先で過ごす場合が多いため、この際の姿が明瞭に観察できたのだ。

私たちは生活のためにあらゆる場所で都市のルールに身を置きながらも、そのルールとは必ずしも一致しない固有の身体を持っている。その間にギャップがあることは時に生活を不便にもするが、そのギャップの埋め方次第では都市を使いこなす工夫にもなり得る。私たちの身の回りは、そんな都市のルールと身体のルールのギャップを埋める糊代(都市の際)に溢れている。

★1──これらの工作物については、市との関係性の中で許可されたうえで構築されている。

★2──赤線道路とは、昔からあった道のため地番がなく、道路法の適用を受けないまま里道として使用されているもの。法定外公共物。

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