建築用 2023年09月13日

建築と大地の「接着」(大山顕:写真家、フリーライター)

大山顕(おおやま・けん)

1972年生まれ。写真家、ライター。工業地域を遊び場として育つ。千葉大学工学部卒業後、松下電器株式会社(現Panasonic)に入社。シンクタンク部門に10年間勤めた後、写真家として独立。出版、イベント主催なども行う。著書に『工場萌え』(石井哲との共著、東京書籍、2007)、『団地の見究』(東京書籍、2008年)、『ショッピングモールから考える』(東浩紀との共著、幻冬舎、2016)、『立体交差』(本の雑誌社、2019)、『新写真論 スマホと顔』(ゲンロン、2020)など多数。

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セメダイン株式会社は、今年創業100周年と聞いて驚いた。2023年で100年ということは、創業は関東大震災の年1923年ではないか。11月に東京で製造販売をはじめたというから、まさに災害の爪痕生々しいなかでのスタートだったわけだ。いったいどんな思いで立ち上げたのか、想像するにあまりある。

表面のエンジニアリング

小さい頃、工作が好きだった。長年機械設計の仕事をしていた父にいろいろ教えてもらった記憶がある。中学生になってからは新品の自転車に乗った覚えがない。父と、捨てられている自転車を拾ってきて、使えるパーツを組み合わせて使える1台にする、ということをよくやっていた(現在同じことをやったら罰せられるかもしれない)。貧乏だったわけではない。そうするのが楽しかったのだ。

パンク修理が特におもしろかった。タイヤからチューブを取り出し水を入れたバケツに沈め、泡によって穴が開いている箇所を特定する。そこにゴムパッチを当ててふさぐ。その時使っていたのが、セメダインのゴムのりだ。道具箱に入っていた、黄色と黒の固い金属製のチューブが思い出される。

接着前にチューブの穴の周りを洗い、目の細かい紙やすりでこするのだ、と教えられた。ゴミが表面に残っていてはちゃんと接着されない。表面を少し荒らして食いつきをよくする。そうなのか、と感心した覚えがある。ぼくの息子はいま5歳なのだが、画用紙にのりを塗りたくっては色紙を貼る、という遊びをよくやる。物と物をのりで貼り合わせるというのは、かなり小さい頃からやることで、たいてうまくくっつくので気づかないが、接着とは本来下準備が重要でコツがいる。大げさに言うならそれは「表面のエンジニアリング」だ。

団地との出会い

ぼくは学生時代から本格的に写真を撮り始め、卒業後は会社員のかたわら週末は撮影に出かける日々を送っていた。撮るのは団地である。いまでこそその歴史と意義、レトロな佇まいも評価されている団地だが、在学時1990年代半ばの社会一般におけるイメージは良いものではなかった。でもぼくは団地はおもしろいと思った。ぼくは団地には住んだことはないが、小さい頃の友達の多くが住んでいて、部屋の中や廊下でよく遊んだものだった。エレベーターを使った鬼ごっことか。

おそらくぼくのような団塊ジュニアは、親たちの世代と違って、郷愁の念とともに団地を比較的ニュートラルにとらえることができた世代ではないだろうか。たぶん父や母はいまでも「団地の何が良いのかしらねえ」と思っているに違いない。

これまでに撮影した団地(すべて筆者提供)

団地の要

団地をじっくり見続けてそろそろ30年になろうとしている。写真を撮り始めた頃は棟の形や色にひかれた。つまり建築的な興味だ。しかし今はちょっと違う考え方をしている。もちろんあいかわらず団地のフォルムは尊いと思うが、それにも増して団地は「レイアウト」が要なのではないかと思うようになった。どういうことか。

団地とは住まいを標準化・規格化するという発明だった。だから住棟はどれも似ている。しかしまったく同じ棟配置の団地はこの世にひとつもない。背後にあるより大きな事情、方角・地形や土地の歴史といったものが大きな影響を与えるからだ。団地は広い敷地を持っているがゆえに、こういった影響を無視できない。

建つ土地の事情が影響している例でおもしろいのは、東京を代表する巨大団地・光が丘パークタウンだ。

光が丘パークタウン(Google / 画像 ©2023 CNES / Airbus, Digital Earth Technology, Maxar Technologies, Planet.com, The GeoInformation Group, 地図データ ©2023)

そのレイアウト上の特徴は、敷地中央を南北に貫くメインストリート「いちょう通り」。歩車分離の、広場を兼ねる歩行者用に作られている。じつはこれ、団地以前のレイアウトに由来している。団地の敷地は、戦後1945年に連合国軍によって接収され、1973年に返還されるまで「グラントハイツ」という名のアメリカ軍の宿舎であった。

1956年当時の様子(国土地理院・国土変遷アーカイブ)

いうなれば以前も団地だったわけだ。現在の「いちょう通り」はこの時すでにメインストリートとして存在している。光が丘パークタウンはグラントハイツ時代の通りを保存したわけだ。

話はこれだけでは終わらない。どうしてここが接収されたのか。さらに遡り、戦時中の様子を調べると、はたしてここは「成増飛行場」であったことがわかる。そしてなんと「いちょう通り」はその滑走路だった。成増飛行場は日本陸軍の軍用飛行場として1942年に急遽つくられたものだった。「いちょう通り」はじつに3代にわたって「メインストリート」として残り続けたわけだ。

1944年の様子(国土地理院・国土変遷アーカイブ)

成増飛行場(The University of Texas at Austin / U.S. Army Map Service, 1945-1946)

敷地はまっさらなキャンバスではない。団地の発明とは、建築が規格化されたことで、レイアウトに注力できるようになった点にあるのではないだろうかと思う。1993年の土木学会誌にこういう言葉がある。「『土地』という白紙でないキャンバスの上に、『区画』というフィギュアが描かれる」。

 

「地形図のモザイク」からわかること

セメダイン本社の所在地は東京都品川区大崎1丁目だ。ゲートシティ大崎イーストタワーに入っている。地形図で周辺を見ると、とてもおもしろい。まず、そこは目黒川が削った「谷」だ。

セメダイン本社周辺の地形図(国土地理院「基盤地図情報数値標高モデル」の画像をキャプチャ・加筆加工)

この川は古くから暴れ川として知られ、本社から上流に1.7kmほどの場所、品川区の地域センターがある場所の地下には調節池があったりする。より広域の地形図で見ると多摩川や荒川ほどではないが、目黒川は都心部で存在感のある「谷」だ。

この「目黒谷」の左岸と右岸、つまり北側と南側では台地の形、崖のテクスチャが違うのがわかる。北側、高輪の方はゴツゴツしていて小さな谷筋が多い。一方、南側の戸越のほうはなめらか。標高も高輪の方が少し高い。どちらもいわゆる武蔵野台地と呼ばれる台地に属するが、細かくいうと、目黒川を挟んで左岸(北側)と右岸(南側)はそれぞれ「淀橋台」「目黒台」といい、成り立ちが違うのだそうだ。ちなみに川の「右岸」「左岸」どっちがどっちだかわからなくなるという声をよく聞くが、「川の水の気持ちになって考える」というのが覚えるコツだ。

地形は自然のものだが、こうして見ると、人間によって改変されていることがわかる。御殿山の切り崩しは最も有名だ。地形図では左岸側の先端部が南につきだした半島状になっている。ここがその御殿山。新幹線・京浜東北線と山手線による切り通しの具合も印象的だが、虫食い状になっているのは、ここの土を使って台場を作ったからだ。江戸末期のことである。

そのほか小さな谷筋沿いなど崖線がモザイクのように細かく刻まれている様子もおもしろい。このエリアで目を引くのは五反田駅の北、東五反田五丁目だろう。南を向いた崖がひな壇状に刻まれている。ここは都内有数の高級住宅街で、池田山と呼ばれる場所。岡山藩池田家の下屋敷があったことからそう呼ばれる。美智子上皇后の実家もここにあった。

「建築の定義とは何か?」ときかれたらぼくは「地面が平らであること」と答える。法的には「屋根及び柱もしくは壁を有するもの」とされているが。崖が崖のまま、つまり傾斜したままの状態でその上に建築が建てられることはまずない。斜面住宅など、一見傾斜面そのままに建てられているように見えても、その基礎部分はかならず平らになっている。つまり、階段状に造成される。キャンプのテントで休んだ経験がある人ならわかるだろう。ちょっとした傾斜やわずか10mm程度のデコボコがあるだけで、人間は落ち着いて横になれない。床が平らで水平であることこそ最も根源的な建築の定義だとぼくが思うゆえんだ。

地形図で見るモザイクは、人間が自然の地形のままでは暮らすことができないしるしだ。モザイクの大きさは土地利用のサイズを示している。品川駅の西側、高輪口に面した崖線のモザイクが際立って大きいのは、ここに建っているのがホテルなどの大面積をもつ建築だからだ。ともあれ、細かく刻まれはするものの、全体としてみれば地形は全体像を保っている。「人間によって改変」とは言ったが、大地を相手に人間ができることはせいぜいこれぐらいなのだな、と思わせられる。

大地をならし接着する

建築物がしっかりと立つように不安定な地面を均す。父親から教えてもらった「表面のエンジニアリング」を連想する。建築物の基礎は地面との「接着」だ。実際、基礎はたいていコンクリートでつくられるが、その材料は「セメント」だ。接着剤の意だ。「セメダイン」の語の由来でもある。光が丘の団地の例でいうならば、いちど大地に「接着」された建築や街は、それが剥がされても後々までその影響を及ぼす。かくして人の手によっても、土地は「白紙でないキャンバス」になっていく。

建築物は重力によって大地に「接着」されているわけだが、重力が当てにならないとき、つまり通常の小さな部品の接着の際にはとくに「表面のエンジニアリング」が重要になる。そして日本の建築は「重力が当てにならない」状況を想定してつくられる。つまり地震だ。軟弱な地盤に高い建物を作るときには地中深くまで杭を打つ。それはサンドペーパーでゴムチューブの表面を荒らすことに似ている。文字通りの「アンカー効果」だ。

そんなことを思いながら大崎周辺の地形図を見ると、セメダイン本社が建つ「谷」が、性質の違う2つの台地を接着しているようにも見えてくる。関東大震災の年に創業した会社にふさわしい立地だな、と思った。

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