建築用 2022年12月01日

「きりはなさない」ことによる新しい「全体」のつくりかた──変化し調和する「柔らかなしるし」(デザイン)をめざして(藤原徹平:建築家)

©︎FUJIWALABO

藤原徹平

1975年生まれ。建築家。横浜国立大学大学院Y-GSA准教授。株式会社フジワラテッペイアーキテクツラボ主宰。一般社団法人ドリフターズ・インターナショナル理事。

主な建築作品=《等々力の二重円環》(2011)、《代々木テラス》(2016)、《那須塩原市まちなか交流センターくるる》(2019)、《泉大津市立図書館シープラ》(2021)、《京都市立芸術大学》(2023年竣工予定)ほか。著書=『7inch Project#01Teppei Fujiwara』(ニューハウス出版、2012)ほか。共著=『アジアの日常から』(TOTO出版、2015)、『応答 漂うモダニズム』(左右社、2015)ほか。

「しるし」を「きりはなす」こと

デザインとはなにか?ということを考える一般教養の座学を大学で受けもっています。

建築学の専門講義ではないのですが、せっかく大学にいるのですから一般教養の講義枠も担当し、毎年少しずつ考えを深めています。

一般的にデザインというと、カッコよい形やお洒落な形をつくることのように思われがちです。もちろん形は重要ですが、デザインという行為をもっと深く理解していくために、まずはデザインという言葉から考えてみます。

デザイン(design)という言葉は「de」という接頭辞と「sign」という語根からなり、そのまま考えると、「しるし(sign)」を「きりはなす(de)」という意味に分解できます。

「しるし」とはなんでしょうか。

「しるし」を知るために、私たちがある対象を、そのようなものであると認識する際のプロセスについて見ていきたいと思います。

一番わかりやすいのは、甘い匂いを嗅いで、美味しそう!というように判断する際の認識です。

この場合は、動物や昆虫の感受ということに近いですが、美味しそうな匂いそのものが行為を導いていく「しるし」になります。グローバル展開するファストフード店には、そのお店らしさに直結する匂いをもつ場合が少なくありません。食欲を刺激する強烈な匂いですし、ほかの店とは違う匂いをしていますから、社内の開発チームには匂いの個性化を研究しているチームがあるのかもしれません。

そうかと思えば、この空間はなんか居心地がいいなというぼんやりした認識をもつ場合があります。この時の居心地のよさを導いている「しるし」は複合的なものです。

天井の高さ・低さ、光の入り具合、音のうるささ・静けさ、隣に公園があるのかなど、いろいろな要素があいまって、複合的に「しるし」として認識されます。

複合的な認識には、地名を介した「しるし」の場合もあります。お店の名前に本社の場所ではなく、売りたい商品の名産地の地名をつけるようなケースです。いかにも本場からきた印象を与えることができます。この場合、味が美味しいことも重要で、地名ということと美味しさということが結びつくことで「しるし」としての認識が強まります。

次に「きりはなす」ということを考えたいと思います。

無印良品という日本発のブランドがありますが、これは「しるし」に溢れた商品化社会に対してあえて「しるしがない」ということを表明する戦略を用いています。無印良品は1980年頃につくられます。80年代は、90年代のバブル景気につながっていく商品化社会の成熟期ですから、どのメーカーも商品の個別化差異化でどんどんと機能やデザインを変化させ、場合によっては装飾的に足していった時代です。ずいぶんと思い切ったことをしたと思います。結果的に、無印良品は、他のブランドと自分たちを「きりはなす」ことに成功したわけです。

無印良品と似た例としては、アメリカのアップル社のiPhoneというスマートフォンがあります。最初に発表された時には「ボタンがひとつしかない」ということが強烈なインパクトでした。いまは前面にボタンがひとつもないスマートフォンが当たり前になってきていますが、当時はむしろ10個以上のボタンがあるような形が一般的でした。前面の要素を大幅に減らすことで、見事にほかのデザインと「きりはなす」ことに成功しました。

次に別の例として、アメリカの宇宙開発の変移を取り上げてみましょう。

航空宇宙局(NASA)がいわゆるスペースシャトル開発を中止する発表をした時には本当に驚きました。アメリカ=宇宙開発というイメージですし、その象徴がスペースシャトルでした。従来型のロケットと異なり、スペースシャトルは、オービタ(搭乗機)、外部燃料タンク(オービタの燃料)、固体ロケットブースター(打ち上げ時の推力を担う)の3つの要素からなり、外部燃料タンク以外の2つは再利用可能という最先端のデザインだと思われていました。

その後、民間企業に宇宙開発が広がっていくことで、いままで発射のたびに捨てられていた従来型のロケットとは異なり、打ち上げの際にきりはなしたブースターをそのまま地上に戻して着陸させ、次の打ち上げで再利用するという方法が主流になっています。

ロケットが発射された地に、ブースターが単体で戻りサブエンジンを使い着陸する映像を見ましたが、動画の逆再生を見るようで驚きの帰還方法です。ブースター自体を自動操縦の飛行体にしているわけです。こうすれば、少しの保全で何度も再利用できるので、大幅にコスト削減になります。スペースシャトルはオービタの帰還を中心に考えて、ブースターはあくまで使い捨て的にパラシュートで落下させて、リサイクルしていたわけですので、保全コストが大幅に変わります。

考えるべき範囲と目標を再設定したのです。ここでは、デザインするべき対象そのものを「きりはなす」ことに成功しています。

このようにデザインという視点から技術の発展を見ていくと、私たちがどのように「しるし」を認識するのか、その認識のなかでどのように事物を「きりはなす」のか、そういう時代の流れを認識することができます。

いま社会において求められる「しるし」性

ところで私は建築家です。

建築家というのは、空間をデザインする専門家ですが、建築が難しいのは、たんに「しるし」を「きりはなす」ことがよいとは限らないということです。

街にある建物がすべて「しるし」として周囲から「きりはなす」ことを行なったらどうなるでしょうか。隣と違おうとする行為が連鎖すると、不連続の環境が導かれ、いきなり住宅地にギリシャ神殿や城が建つみたいなことになりかねません。個の意思や自由の権利を重視しすぎると、ちぐはぐな環境が導かれます。

時には、個別の建築の「しるし」ではなく、街というようなもう少し大きな単位のなかで「しるし」をどうやってつくるのか、視野を広くもつ必要があります。

建築の難しさの2つ目としては、建築をつくるけれどどうやって使うかはあんまり決めていない場合があります。将来は限定したくないということでしょうか。しかしその場合でも、適当な建築をつくりたくないというように思っているわけですから、建築をつくるときの人間の想いは複雑です。私が経験したケースでは、中国や韓国で世界的なIT企業の本社キャンパスの設計を依頼されたときに、彼らは成長企業でしたから、まず最高の環境はつくりたいという要望がありました。しかし、同時に、新しい業態を飲み込みながら成長しているということもあり自分たちの将来がどうなるかは限定したくないという想いも強くもっていました。建築が将来の可能性を限定しないようにつくれないか、そんな想いをもつ人が多いようです。将来の可能性を限定しないしるし、「変化できるしるし」のようなイメージです。

また、私が感じるもうひとつ大きな流れとしては、周辺の環境から浮いてしまうような「しるし」はつくりたくないという意見をもった人が年々増えていることです。むしろ「溶け込んだしるし」がよいということです。

15年ほど前、中国の杭州で美術館の設計を担当したときに、山から龍のように飛び出た、いかにも「しるし的なカッコいいデザイン」と、山に溶け込んだ、よく見ないと「しるしを感じないデザイン」の2案をもっていったときに、「しるしを感じないデザイン」のほうが断然いいと言われました。彼らは美術に関わる人ですから、繊細な感性をもっていた部分もありますが、大きな価値観の変化が起きるかもしれないなという予感をその時に感じました。世界全体で、1980年代から続く「しるし」の「きりはなし」によって差異化を図ること自体への大きな反動が起きつつあるのかもしれません。

整理すると、いまの社会の大きなデザインの指向性への変化としては、現時点における「最高のよいしるし」をつくりたいのは変わらないが、現状にとどまらず将来的に「変化できる柔らかいしるし」でありたい。

あるいは、周りの環境と一体の「溶け込むしるし」でありたい。そんな新しい「しるし」性が求められているわけです。

環境に溶け込む「柔らかなしるし」性をもつプロジェクト

そういった場合には、どのように個別の建築の設計を行なうのかというと、私の場合は現在まさにいろいろ試行錯誤しながら方法を編み出している最中です。

すでに完成しているプロジェクトで少し説明するのであれば、森を背景に住宅や庭、ギャラリーを備える《稲村の森の家》(2017)では、家のフェンスや門扉を取り払い、大きな軒によって家と周囲の街とが入り交じってくるような境界をつくりました。

森との境界についても2階のボリュームを浮かせることで、森から軒下がつながるように連続的な関係をつくりました。

《稲村の森の家》
家と周囲とが入り交じるような環境をつくった
©︎FUJIWALABO

家の四周の庭を丁寧につくることで、街から森まで全体としてぶらっと入ってこられるような庭園のような雰囲気の場所にしています。いまは曜日を限って食堂としても家の一部を使っていますが、時々幼稚園の園児がお散歩で山から下りてきて家を通り抜けていったりするようです。

《稲村の森の家》
ドローイング 四周を庭にすることで回遊性をもたせ地域と森の双方に開かれた場所とした

©︎FUJIWALABO

成長したお施主さんの子どもたちがどう使うかわからないということで、住居部分は寺の伽藍のようにあっさりとしたつくりになっていて、改修を重ねながら使っていく考えになっています。

もしかしたら将来は家ではなくて、レストランや幼稚園のような場所になるかもしれませんし、あるいは住むということがもっといろんな機能が入り交じったものになっていくのかもしれません。

もっと大きなプロジェクトの場合だと、千葉県の木更津にある《クルックフィールズ》(2019)がわかりやすいかもしれません。

まず持続可能な暮らしのあり方を模索してきたクルックは、これまでいかに有機農業を普及していけるか、すごく実践的に取り組んでいました。また同時に、このプロジェクトでは、同社の代表である音楽家の小林武史さんの思想的リーダーシップの下、農や食の循環を示す新しいテーマパークをつくる計画がありました。私たちはそのテーマパークを含んだ全体のマスタープランといくつかの建物の設計を担当しました。

葛藤したのは、テーマパークというのは強烈な「しるし」である必要がある点です。しかし、産業の場としては真面目に取り組んでいることも示す必要があります。実際に有機農業というのはそんなに簡単ではありませんから、農作物の生育に適した環境をつくるための徹底的なリアリズムも必要です。

そこでまずは、しっかりと有機農業を支える拠点としての「しるし」を整えました。産業のためのテント倉庫や日々のモノづくりを支える工房、スタッフが泊まり込みで作業できるシェアハウス寮などです。

《クルックフィールズ》
シェアハウス型の宿舎や道具倉庫、資材倉庫など持続可能な農業の現場を支える拠点(しるし)を整えた
©︎FUJIWALABO

また、都市計画道路の形や、法的な敷地の形、法的申請のプロセス、電気やガスなどのインフラのルートなどいろいろ工夫しましたが、なにしろ一番重要だったのは、持続可能な暮らしの研究と実践を行なうパーマカルチャーデザイナーの四井真治さんと協働して、水の循環を支える敷地全体の土地の形を整えていったことです。その結果として、敷地全体をフェンスで覆うことをせず、土塁で囲いました。

このことによって、周囲の環境やそこでの営みと有機的に応答しながら変化していく「柔らかいしるし」としての全体像を示せたのではないかと思っています。

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《クルックフィールズ》全景パノラマ写真
すり鉢状の地形の周囲を土塁が囲む。中央の池に集められる過程で排水が浄化される仕組みを採用している
©︎Yurika Kono

《クルックフィールズ》などの経験を経て現在は、ますます「柔らかいしるし」をつくるプロジェクトが増えてきています。

京都で複数の街区にまたがって計画している「街のように水平に広がる大学」

「京都市立芸術大学移転プロジェクト」プロポーザル時の提案図
©︎乾・RING・フジワラボ・o+h・吉村設計共同体

霧島(鹿児島県)の半漁半農の集落の地形に、有機的に溶け込んだ「地方工務店の本社キャンパス」

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「小浜ビレッジ」全体ドローイング
©︎FUJIWALABO

駅前広場と一体となった「積層した広場のような図書館」

「新垂水図書館」プロポーザル時提案ドローイング
©︎フジワラボ・タト・トミト設計共同体

昭和の旅館を裏山と一体で増改築した「大人と子供が環境を遊び・学ぶ旅館」

「扇芳閣プロジェクト」全体構想ドローイング
©︎FUJIWALABO

——というようなプロジェクトです。

これらは、周りの環境から「きりはなさない」ことで「新しいしるし」をつくりだせないかなという継続的な取り組みのなかにあります。

また、それらのうちのいくつかは私の設計事務所だけでなく、複数の建築家でチーム(JV)を組んで取り組んでいます。私としては、「新しいしるし」をつくるための設計主体のあり方もどんどん新しい形を試すべきだと思っています。そうした試みの意図については、またの機会に報告できたらと思います。

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