建築用 2023年07月28日

橋と公園、カフェと道。———インフラと記憶をくっつける僕の土木デザイン的思考(崎谷浩一郎:株式会社EAU)

崎谷浩一郎(さきたに・こういちろう)(撮影=木内和美)
株式会社EAU代表取締役兼合同会社クスキチ職務執行者。1976年佐賀県生まれ。1999年北海道大学土木工学科卒業後、東京大学大学院景観研究室にて篠原修に師事し、土木デザインを学ぶ。2003年土木デザインを専門とする設計事務所EAUを共同設立。日本各地で多くの土木事業・景観設計に関わる。主なプロジェクト=熱海渚小公園・渚親水公園(静岡)、旧佐渡鉱山遺跡広場(新潟)、中央橋(長崎)、白水ダム鴫田駐車場・トイレ(大分)、出島表門橋公園(長崎)など。グッドデザイン賞受賞、土木学会デザイン賞、国土交通省都市景観大賞特別賞受賞。国士舘大学、東京藝術大学、東京理科大学非常勤講師。自称シビレル・エンジニア。2017年11月より本郷にて発酵するカフェ麹中を経営。2022年2月よりwebメディア「土景」(https://tsuchikei.com)編集長。

ものづくり

僕はいま土木という分野でデザインを仕事にしています。小さい頃からものづくりが好きで、晴れた日は外で日が暮れるまで秘密基地をつくり、雨の日は家の中で身近な材料でものをつくって友だちと遊んでいました。物心ついた頃から、とにかく「ものをつくる」仕事をしたいとぼんやり思っていました。

原風景は田んぼ

僕の出身は九州の佐賀市で、高校を卒業するまで佐賀で過ごしました。佐賀は筑紫平野と呼ばれる大きな平野の南部に位置していて、家の周りには田んぼがたくさんありました。張り巡らされたクリーク(用水路)、土を掘り返す耕運機、水が鏡のように張った苗代、カエルの鳴き声、風に揺れる稲穂、コンバインの音、藁を燃やした煙の匂い。毎日変わり続け、毎年変わらない田んぼの風景は僕の原風景です。

佐賀の田んぼの風景(撮影=筆者同級生)

建築という字面に惹かれて

高校生になり受験で進路を選んでいたとき「建築」という言葉が目に留まりました。「建てる+築く」という字面に惹かれ、小さい頃に秘密基地づくりに明け暮れたものづくりへの思いがふつふつと湧き上がり、僕は建築という分野を目指すことにしました。

鴨川に救われた浪人時代

受験勉強のスタートが遅かったので現役のときはいわゆる記念受験で、佐賀を離れて京都で1年間浪人しました。浪人時代は、現役時代の遅れを取り戻すべく受験勉強に集中しようと、友達もつくらず、ひたすら予備校の寮と校舎の間を自転車で往復するストイックな日々を送りました。

寮は百万遍にあったので、校舎のある京都駅付近まで自転車で通学していたのですが、勉強がうまくいかずに気が滅入る帰り道には鴨川に立ち寄り、土手に自転車を放り投げて寝転んで、ぼーっと空を眺めて気を休めました。本当に、鴨川には救われました。

鴨川の水辺(筆者撮影)

飽きることのない北海道の風景

京都で浪人後、僕は北海道の大学に進学しました。九州出身の僕にとって北海道は外国のようなものです。新千歳空港から札幌へ向かう電車の窓から見えた雪国仕様の家々は、その姿形がどれも見たことないもので新鮮でした。また、4年間過ごした札幌のまちはさっぱりしていて綺麗で、同じ碁盤の目状の京都のまちとはまた違った都市の姿形が印象的でした。

冬になってまちのすべてが雪で白くやわらかく覆われると、いつもの何気ない場所であっても見入ってしまうほど美しかったです。雪が溶け始め緑がまちを彩り始める春先の季節は、在学中一度も飽きることはありませんでした。

札幌大通り公園(筆者撮影)

まちの素地をつくる

すっかり北海道を満喫していた僕は肝心の勉強が疎かになり、建築ではなく土木という分野に進むことになります。建築は建物をつくりますが、土木は建物以外の人間が生きていくために必要な資源や物資の供給を行う基盤(インフラ)をつくり、災害から生命と財産を守り人々が安全で安心して生きていく環境を整える分野です。

世の中の森羅万象を扱う土木の世界に、僕は大変興味を持ちました。これまで暮らしてきたまちの素地をつくっていたのは土木だったのか、という発見もありました。土木の面白さを実感していた大学3年生のとき、僕はさらに衝撃的なことを知ります。それが「土木にもデザインがある」ということでした。

インフラには物語がある

浪人生だった僕を救ってくれた京都の鴨川は、江戸時代にその骨格が築かれました。川床で有名な三条大橋付近の風景は、1935(昭和10)年の大洪水をきっかけに計画された鴨川改修計画が基礎となっています。

当時は河川改修でもコンクリートが使われ始めた時代ですが、当時の予算補助要求資料に「京都は日本で唯一の国際観光都市であり、鴨川は優雅な情景を保ちつつある。よって工事する時は相当考慮が必要」という内容が明記されており、その結果、コンクリートの露出を避け自然石を使用した護岸が整備されたのです。場所に意味づけや見立てを行うことが土木のデザインの入り口だということはのちに知りました。

長崎出島のプロジェクト

2017年に長崎市の事業で長崎出島に約130年ぶりに出島表門橋が架かり、川を挟んで対岸の水辺が「出島表門橋公園」としてリニューアルされました。僕はその公園のデザインを担当しました。出島が築造された当時の護岸の位置は現在の位置と異なります。

僕たちは絵図や発掘調査の結果から公園のプランに江戸時代の護岸を取り込み、現代と過去が融合した空間の実現を目指しました。公園内にはオランダゆかりのキャラクターであるミッフィーのシルエットをさまざまな素材で公園内のいたるところに埋め込み、世界中の子どもたちにこの場所を訪れてもらうための仕掛けを取り入れました。

出島プロジェクトは、ものづくりとしてのデザインがある一方、特筆すべきは橋と公園の供用開始から5年近く経つ今も続いている「はしふき」という活動です。

出島表門橋公園(撮影=EAU)

出島表門橋公園のプラン 現代の空間に江戸時代の護岸ライン(提供=EAU)

出島を交易の拠点にしていたオランダの作家ディック・ブルーナさんが生んだ世界的人気キャラクターミッフィーが公園の至るところに隠れている(撮影=EAU)

はしふき

はしふきは毎月2回(第2、第4月曜日)行われている出島表門橋を雑巾で拭く活動です。「雨天決行、参加表明不要、手ぶらで参加、いつ来てもいつ帰ってもOK、拭かずにおしゃべりだけでもOK」というローカルスタンダード活動で、開催回数はじつに130回を超えています。

出島は和蘭商館跡として約100年前に国の史跡に指定されています。出島の復元整備や橋の架橋、公園整備は長崎市が主体となって行政主導で進められてきた経緯もあり、地元長崎の人にとってやや遠い存在になっていました。整備をきっかけに橋を直接自分の手を使って拭くことで、その人にとってこの場所が「じぶんごと」の風景に変わりつつあります。

はしふき(撮影=DEJIMA BASE)

まちに触れる

主宰する設計事務所EAU(フランス語で「水」という意味)を立ち上げて20年、全国さまざまなまちで土木のデザインに関わってきました。まちというのは意識すればいくらでも自分にとっての意味づけや見立てが可能です。

どんな場所にも有形無形の履歴があり、その場所が生まれた個別具体の背景があります。有形のものは景観として立ち現れますが、無形のものは目には見えません。別にまちの履歴や背景を知らなくても生きていけるし上辺を楽しむことは可能です。でもそれは、そのように誰かがそう仕立てているからであって、僕たちはそれを当たり前に享受することに慣れ過ぎてしまってはないでしょうか。

まちに恩返し

5年前に本郷でオフィスに併設したカフェを始めました。自分たちが10年以上通っている場所がまちと一切接点を持ってこなかったことにもったいなさを感じ、また、自分たちを育ててくれた本郷というまちに恩返しをしようと思ったことがきっかけです。もちろん、オフィスとまちは接点を持たなければならない訳ではありませんし、恩返しの形は他にもあると思いますが、僕たちのこれからの拠点のあり方を考えたときに、まちと接点がないよりはあった方がより良いデザイン活動ができるのではないか、という思いもありました。

発酵

カフェ開業にあたり、本郷のまちのことを調べていくうちに、じつは江戸時代には味噌をつくるための味噌麹をつくる麹室(こうじむろ)がたくさんあった場所だったということを知りました。発酵は目に見えない菌や微生物の働きが食べ物の旨味や保存効果をもたらす世界中で普遍的な食にまつわる知恵ですが、日本の味噌や醤油、お酒づくりなどに使われる麹菌は日本にしかいない固有種だったりして面白いです。

カフェの店名は設計事務所に併設しているので「こうじちゅう」にしようと初めから決めていたのですが、本郷と麹室の履歴を知って「発酵するカフェ麹中(こうじちゅう)」という名前に決めました。

発酵するカフェ麹中(外観)店先の茜染めの暖簾と白い屋台が目印(筆者撮影)

発酵するカフェ麹中(内観)古材を使ったテーブルと構造用合板表しの本棚にデザインの参考とする本などが並ぶ(筆者撮影)

土と宇宙

最近興味があるのは土です。カフェを通じて食と土の関係やゴミの問題が気になり、去年の春からはビルの屋上で菜園を始めました。カフェで出る野菜くずなどの生ごみはすべてコンポストで土に還し、その土を使って野菜をつくってカフェで提供しています。

店先に可動式のコンポスト(hacorin)を置いていると、道ゆく人が覗き込みます。生ごみからつくった土からは勝手にカボチャやトマトが育っています。土の中にもたくさんの微生物や菌がいて、それらの働きによって植物に必要な養分がつくられています。

都会ではコンクリートやアスファルトの下であまり触れることはありませんが、普段目に見えない地中には宇宙のような世界が広がっているのだと思うとワクワクします。

そして、僕が生まれ育った田んぼの風景がとてつもなく豊かで広大な宇宙に思えてくるから不思議です。少しでもよいので都会でも土に触わることができる場所をまちなかに増やしていくと、まちとの新たな関わりシロになって面白そうです。

屋上の菜園でコンポストの土を混ぜる著者(撮影=EAU)

麹中の店先にある可動式コンポストhacorinは道ゆく人の人気者(写真=EAU)

インフラと記憶をくっつける

公共空間にはそれぞれ意味や役割が与えられていますが、個々の場所が個々の人にとって全く同じ意味や役割を持つ必要はありません。インフラは人々の暮らしを支える大切な基盤ですが、その余白にいかに個人的な体験を積み重ねるかということが人生にとって大切な気がします。体験は記憶となり場所とくっつくことで、公共空間が意味と役割から解き放たれ、一気に「じぶんごと」になります。人生は他の誰のものでもない、じぶんごとです。

昨今は賑わいやまちの経済活動を求められがちな公共空間ですが、誰に引け目を感じることなくひとりでぼーっとできる、じぶんごと化できる場所が本当の意味で次世代に残すべきインフラだと僕は思います。

みちのみちのり

宮崎県西都市に「記紀の道」という『古事記』『日本書紀』にある神話の伝承地をつなぐ道があります。国史跡の西都原古墳群のある、古代から人々の営みがある道です。古墳や巨木の風景とともにつくられたその道はまさに2,000年の時をつなぐインフラです。

僕たちは20年近く、この道のデザインに関わってきました。コロナ禍に完成したこの事業は関わったメンバーで企画して記紀の道を舞台としたドキュメンタリー映画『みちのみちのり』をつくりました。映画では、道の近くに住む住民の方々が思い思いに道に関わる日常と神代の世界が重なる様子が描かれています。先日東京でも映画が公開されたくさんの方々に映画館に足を運んでいただきました。今後上映の機会を増やしていきたいと思います。

記紀の道(宮崎県西都市)(撮影=EAU)

記紀の道がつなぐ伝承地のひとつ「児湯池(こゆのいけ)」はコノハナサクヤヒメが3皇子(ホデリノミコト、ホスセリノミコト、ホオリノミコト)の生湯にした湧水と言い伝えられる(撮影=映画みちのみちのり製作委員会)

映画『みちのみちのり』(監督:古木洋平)https://www.michinori-movie.com/
上映:2023年6月24日(土)〜7月13日(木)
劇場:ポレポレ東中野(東京都・中野区)https://pole2.co.jp/

関連記事

タグ一覧

もっと見る

PAGE TOP

コピーしました